リスクと公共性研究会

〈リスクと公共性〉研究会について

〈リスクと公共性〉研究会は、アフリカおよびアジアの地域社会と障がい、老い、やまいの問題に関心を寄せる人たちによる、議論と情報交換の場です。

これらの問題はもちろん、一括りに扱うことができない多様さと複雑さを備えています。この研究会では、個々のコミュニティ、あるいは個々の生活者が直面する問題に焦点をあてつつ、その社会的な文脈を丁寧に解きほぐしてゆくことで、社会の inclusiveness (またその裏返しとしての、社会的排除)という問題について、何らかの共通の理解を得ることを目的としています。

リスクを解釈する

障がい、老い、やまいは一般に、社会や個人にとってのリスクとして認識されがちです。そのような解釈が誤りであるとは言いませんが、しかしたとえばHIV/AIDSとともに生きる人たちにとっては、感染を理由とした社会的排除の経験こそが、より切実な問題かも知れません。

「健康でありたい」という望みは、誰もが抱くものですが、「健康である」と認められた人たちだけが、幸福に暮らせる社会で良いのかどうかは、また別に考えねばならない問題です。排他的な社会を構築してしまうことの「リスク」についても、私たちは真剣に考える必要があると思います。

公共性を構築する

排他的ではない (inclusiveな) 社会とは、どのような特性を備えた社会なのでしょうか? 真っ先に思い浮かぶことばのひとつに、「バリアフリー」があります。しかし、inclusive な社会を構築するという目標は、社会を単純にバリアフリーにしてゆくこととは、少し違うように思われます。あるいは、誰のためのバリアフリーかということが問われるべきだ、と言っても良いかも知れません。

たとえば、公的な討論の場で手話通訳を用意することは、現在では(アフリカでも日本でも)バリアフリー化のひとつの重要な手法と考えられています。しかし過去には、ろう教育の中で手話の使用を「禁止」していた国や地域もありました。手話の使用が、ろう者とそうでない人たちとのコミュニケーションの「障壁」になると考えられたからです。またろう者に(手話でなく)音声言語を使うよう求めることで、その障壁を取り除こうとしたわけです(このことについて、より詳しい情報を得たい方は、亀井伸孝さんのホームページをご覧ください)。

もちろん「道路上の段差」とか「公共施設の入り口の階段」のように、技術的に取り除くことが可能で、しかも取り除くことが望ましい障壁はたくさんあります。しかし社会的な障壁のなかには、単純に取り除くと言うよりは、壁があることを認めた上で、どうやってそれを乗り越えてゆくかを考えた方が良いものもあるということです。

共通の課題、多様な解決策

また私たちは、HIV/AIDSと社会との関係について考えるとき、互いに矛盾する(ように思われる)二つの問題があることに気づきます。というのも私たちは、感染を引き起こすウイルスを社会から隔離するという、医学的な予防活動の実施を前提としながら、同時にウイルスとともに生きる人たちを、社会的に(再)統合してゆく方法について考える必要があるからです。

この複雑な問題を、一挙に解決するような普遍的な対策を考えるのは困難です。むしろ冒頭で述べたように、個々のコミュニティ、あるいは個々の生活者が直面する問題に焦点をあてつつ、その社会的な文脈を丁寧に解きほぐしてゆくという作業が必要になるでしょう。

それを言った上で、忘れてはならないのは、個別の分析の上に、共通の理解を築き上げてゆくことです。障害のこと、感染症のこと、いずれを取っても特定の(たとえばアフリカのどこかの)社会にとっての問題と言うよりは、さまざまな社会が、共通に直面する課題だからです。

これらの課題に対して、アフリカやアジアの諸社会で生活する人びとが、どのような解決策を提示してきたか(またその限界はどこにあるのか)を知り、彼らとの連帯の可能性を探ることが、この研究会の当面の目標です。

» 研究会のお知らせ

掲載日: 2007年6月12日 | 作成者: 西真如