2004/7/26

食糧があるのに、どうして援助をするのか?
エチオピアは大豊作だが、720万人が食糧援助を待っているという記事を紹介したところ、自給できるだけの食糧があるなら、なぜ援助が必要なのかという質問を頂きました。

まず考えねばならないのは、どれほど食糧が豊かな社会でも、人が飢えることはあるということです。新聞を丹念に読んでいれば、日本国内でも時折、生活保護をうち切られた人が餓死した、というような記事があることに気付きます。

セン(Amartya Sen)という経済学者は、インドのベンガル地方で起きた飢饉を分析して、人びとが飢えたのは食糧の供給が滞ったせいではなく、戦争の影響で食糧の値段が高騰したからだと考えました。食糧が足りないことではなく、人びとが食糧を手に入れられないことが、飢餓の原因だというわけです。センはこの考え方を「エンタイトルメントの理論」として発展させました。エンタイトルメントとは、食糧を手に入れる権利や能力のことです。

この考え方は、エチオピアにもあてはまります。国全体では自給可能なだけの食糧があったとしても、詳しく見ると、例えばゴッジャム地方やワラガ地方では大豊作だが、ハラルゲ地方では干ばつの被害が深刻であったりします。エチオピアの農民の多くは現金の蓄えがありませんから、豊作の地方から食糧を買ってくるということが、できないのです。

エチオピア政府の財政がもっと豊かであれば、政府が食糧を買いあげて、困っている農民に配ることもできだでしょう。ところが実際には、エチオピア政府の財政は干ばつがなくても常に赤字です。とくに最近は、輸出産品であるコーヒーの国際価格が低迷しているせいで、政府は拡大する赤字を、財政援助でなんとか補っている状態です。

政府の財政を改善するとか、干ばつに強い農業を普及させるとか、雇用を創出して貧しい人びとが食糧を買えるようにするとか、援助に頼らないための長期的な解決策はいくつも考えることができます。ただし、これらの方法で飢餓がなくなるのは、早くても数十年後です。干ばつはほぼ毎年のように起こり、何も対策をしなければ、数年のうちに何十万人もの犠牲者がでることもあります。

そこで、国際社会による緊急援助が必要になるわけですが、これまで実施されてきた緊急食糧援助には、さまざまな問題があることがわかっています。食糧ではなく現金を提供し、エチオピア国内で食糧を買い付けるようにすれば、問題は少なくなります。

援助によって引きおこされる問題は、他にもいろいろ知られていますが、なかでも深刻なのは、依存(dependency)の問題です。食糧が足りなければ、誰かがどこかからトラックで小麦を運んできてくれる。それに慣れたら、苦労して畑を耕す気持ちにならないかも知れません。

国際援助の仕組みには、非常に多くの欠陥があります。しかし、援助をぜんぶ止めれば世の中が良くなるというものでもありません。誰でも飢えて死ぬよりは、誰かに助けてもらうほうがましだと考えています。もしその逆だったら、つまり死が目前に迫っていても自分の力だけを信じるというのなら、社会などというものは始めから必要がないのです。(西)