ノダ農協

2. ノダ農協発足までの歩み(FHIによる援助活動)

2-1  大干ばつとFHIの関与
エチオピアといって多くの人が思い浮かべるのが、1984/85年の大干ばつ。100万人もの餓死者が出て、世界中の国や人々が援助の手を差し伸べました。そのうちの民間援助団体の一つ「国際飢餓対策機構 (Food for the Hungry International)」注1)も、エチオピア政府の指示で、この場所での緊急食糧救援を始めました。

注1) 1970年代のハイチ危機の際、アメリカで始まったNGO。現在、アメリカ、カナダ、日本、韓国、イギリス、ノルウェー、スウェーデンなどに事務所があり、世界30ヶ国以上で緊急救援、農村開発、スラム対策、教育(里親制度)などの分野で活動している。日本国際飢餓対策機構(本部、大阪府八尾市)のホームページはhttp://www.fhi.net/jifh/

食糧を搬入しようにも獣道のような道路しかなく、当初はトラックがたどり着けるダルゲ村まで地域の人々に来てもらっての配給でした。その距離、遠い地域からでは40kmでした。飢える村人にも色々な段階があります。まだいくらか余裕のある農民達もいましたので、その人達を対象に、フード・フォー・ワーク(労働提供してもらい、その報酬として食糧(小麦と食用油)を支給するやりかた)を実施しました。

人々の栄養状態の改善に従い、無償配給からこのフード・フォー・ワーク(FFW)に代わってきたのですが、具体的には、出来る限り受益者に近いところで食糧配給しようという意図でジェフティ集落までの道路整備(獣道からの拡幅)、ジェフティ集落のダルゲ川沿いに植林用苗木の育苗場開拓、そこでの苗木生産などでした。その後、道路整備はイッタイヤ集落、ギンビ集落、チェハレレ集落にまで及びました。

こうして、干ばつで耕しても何も収穫が得られなかった年から、FHIによる食糧救援が始まり、多くの人が飢餓から救われたのです。1986年からは雨期に雨が降り始め、農業が出きるようになりました。しかし、多くの農民は耕作ができずに困っていました。食糧救援はFFWによって行われているので食糧は手にはいるのですが、農民の本来の農業はなかなか元のように戻らなかったのです。その理由は、

a) 干ばつの際、種子となる穀物まで食べ尽くしてしまった。
b) 家畜や農具、家財道具までも売ってしまい、穀物を買って食べ尽くした。

と言えます。また、FFWによって得られた配給穀物の一部を市場で換金化し、必要な家財道具、農機具、家畜を買って元の暮らしに戻れるよう頑張っていました。しかし、手放さずに済んだ家畜や、新たに買った家畜も、別の理由で増えるどころか減る傾向にあったのです。

2-2 家畜のトリパノソーマ症
家畜が減る傾向にあったその理由は、トリパノソーマ症でした。アフリカにしかいないツェツェバエが媒介するアフリカ眠り病。かつてリビングストンがアフリカ探検をした時、多くのアフリカ人がこの病気に冒されて死んでいました。トリパノソーマという原虫が血液中で増殖し、赤血球を破壊して貧血になります。慢性病で、熱が上がり、食欲がなくなって、貧血と共に無表情の嗜眠状態になって最後は死んでしまいます。人間の病気は比較的少なくなりましたが、それでも最近は再び増加の傾向にあり、毎年15万人からの死者がでています。予防注射はなく、発症してから治療をします。

人間の病気は少なくなったのですが、家畜のトリパノソーマ症は減るどころか増えています。1年に100万頭もの家畜が犠牲になっていると言われています。治療薬はあるのですが、製薬会社としては儲けが少ないらしく、なかなか新薬が開発されていません。そのため、薬に対する抵抗性の問題も起こっています。

このアメヤ郡、隣のゴロ郡とも、郡内に流れる川沿いにツェツェバエが生息し、水飲みに来る家畜を待ち伏せして吸血し、その吸血によって病気が媒介されていたのでした。エチオピアでは、牛は単なる食用や財産ではありません。役牛として畑を耕し脱穀までするのです。農作業でくたびれて、そんな時この病気に罹ると大変です。

noda03.jpg
牛の診察風景

2-3 内戦、悪徳業者、そして食糧支援
一方、社会主義時代(1973年9月-1991年5月)のエチオピアは、国内の内戦が激化し、国家予算の半分を軍事費として使うほどでした。そのような予算配分では、農業や工業開発がなされるはずがありません。したがって、輸入に頼らざるを得ない家畜の薬品など買えず、常に薬品不足の事態にありました。

農業省の家畜診療所に行っても薬がなく、一方で、闇ルートで入ってくる薬はありましたが、期限切れであったり、値段が高いので多くの家畜に使おうとする余り、1頭辺りの必要量が足りなくて効果がなかったり、農民が注射するので、薬を溶解する水が川の水だったりして、結局別の病気に罹ったりということが少なくありませんでした。

もっとたちの悪いのは、悪徳業者の存在でした。トリパノソーマの治療薬は数種類あるのですが、粉末を注射用の煮沸滅菌水で溶かしたら、コカコーラ(ペプシコーラ)或いはファンタオレンジ(ミリンダ)のような色になります。そこで、あらかじめ別容器にコーラとファンタを移しておき、現場で農民達に溶解した薬(実はコーラとファンタ)を見せて、「どちらの薬も準備してきた。さあ、どうぞ」と注射して、ボロ儲けしていった者もいるそうです。

牛が元気でないので、畑を耕せない。耕せないから収穫が少ない。収穫がないので、フード・フォー・ワークに頼らざるを得ない。でも配給されるのは小麦であって、彼らの主食インジェラの原料テフではありません。{日本人は、終戦後、アメリカからの食糧援助によって小麦が大挙配られ、学校給食がパン食になり、すっかり食習慣が変わってしまいましたが}、エチオピアの人々は食に関しても非常に保守的で、インジェラ抜きで暮らそうとはしません。せっかくの土地があって、耕せば食べていけるのに、その耕作手段である牛が死んでしまっては、いつまでも食糧支援に頼らざるを得なかったのです。(つづきは制作中)