ラリベラ日記

2002年6月16日

 エチオピア南部の、チャンチョと呼ばれる村で。

 写真は村で知り合ったおばあちゃんと、筆者。握手をして挨拶をして、「ここにお座り」と言われ(たと思った)、隣に腰を下ろして、傍にいると私の祖母の記憶が一気によみがえる。そうだ、ばあちゃんといる時ってこんな感じだったっけ。

 たいして話すこともないけど、一緒にいるだけ。でもなんだか心地良い安心感に包まれる。ばあちゃんとは、時の流れも考えていることも違うのに、一緒にいる。私の場合、物心ついてからのほうがより一層、おばあちゃん子になっていた。

 手紙を書いて、ばあちゃんの「いか人参」がどんなにおいしいか伝えようとしたり、一緒にお祭りに行ったり。お祭りに行ったとき、並んでる店の人に話しかける、話しかける。一緒にいて少し困った反面、面白かった。あとで母にそのことを話すと、それはばあちゃんの癖なんだよと笑っていたっけ。

 それから行きつけの病院の玄関に座って、帰りのタクシーを待っているときに、ばあちゃんが好きな豆大福を一緒に食べた。
----他界して五年の歳月が流れた。久しぶりに実家に帰り、お墓参りをするとき、盆や彼岸に関係なく、私はお墓に豆大福を供え、一緒に食べてから帰ってくる。

つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常な人よりも、それなりの効力意識に目覚めている痴呆者のほうが、この世の生命存在としてはずっと美しい。(藤原新也)

 ところでラリベラにも、ひとり思いあたる人がいる。彼はいつも棒きれや草の束を片手に持ち、道ゆく人に話しかけ、ジンを飲むとごきげんになり、追い返されたりすると少し考える素振りは見せるものの、また笑顔で生き生きと、村の中を歩き回る。彼の声がしたり、ベランダから彼の姿を発見したとき、私は嬉しくなってしまう。「あ、いたっ!!」って。