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ラリベラ日記
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フー太郎の森基金について(熊田富美子)
1994年、アフリカの国々を旅していた新妻香織は、トゥムカット祭の日の聖地ラリベラで、まだ飛べないフクロウの子を拾った。ラリベラの荒れた土地には、フクロウをかえすべき森は既になく、新妻はこのフクロウを「フー太郎」と名付けて森探しの旅をつづけた。18日間の旅の後、ラリベラから何百kmも離れた古都ゴンダ−ルでフー太郎は、やっと森にかえることができた(注)。
この旅で新妻は、アフリカの人びとの厳しい生活を目にして、いつか彼らとともに活動することを心に決めた。彼女は日本に帰り、故郷の福島県で「フー太郎の森基金」という小さなNGOをおこした。 私たちフー太郎の森基金がはじめてアフリカの地に着いたのは、1999年7月のケニア。ケニア在住の日本人から「ソマリアに緑と学校を」というプロジェクトがあることを聞いた新妻は、すぐキャンペーンを行い、集まった支援金350万円をかかえての渡航だった。しかしケニアを訪れてみるとソマリアの情勢は厳しく活動を進めるのはあまりにも無謀であるとわかり断念。フー太郎の森基金由来の地、エチオピアへ矛先を変えた。 無からの出発。エチオピアでのNGO活動の先輩たちからは、この国でのNGO活動の厳しさを教えられ、ますます不安になるが、とにかく踏み出してみよう、と私たちはフー太郎と出会った聖地ラリベラへ出発。ひとつの出会いが次の出会いを結び、信じられないスピードで話が進み、1週間後ラリベラの高校で植林活動を始められることになってしまった。
私一人がラリベラに残り活動を進めていく? いったい何が出来るのだろう? わたしは植林のプロではない。現地語はもちろん英語だってまったく話せない。あるのは、小さなこどもたちからお年寄まで、たくさんの人々から贈られた暖かい励ましの声と支援金。 「わたしはお金も無く、何も出来ませんがお互いできることを持ち寄って活動してみませんか?」それだけしか言えなかった。しかし彼らから常に言われる言葉は「日本人はお金持ち。自動車、ステレオ、カメラ。君たちにお金が無い訳がない。」 高校にある環境クラブの生徒たちと活動を進めようと呼びかけ集まった生徒は450人。こんなに環境意識が高かったのかと驚いていると、「木を植えたら何をくれるのか?」の質問攻め。先生方も「ボーナスはいくらもらえるのだ?」と4人も5人も集まってくる。自分たちの活動として、楽しみを持って欲しいという言葉は彼らには響かない。「当たり前だ、貧しいのだから。空腹では力がでない。」確かにそうだろう。しかし私には納得がいかない。 最初の年、何とか村人の協力を得て1500本の木を植林した。 2年目はラリベラの村で生まれ育った優秀なスタッフを得た。2つの小学校と中高校の生徒たち約1000人が参加し、コンポストで肥料を作り野菜や花を育て、販売して活動資金を作ることができた。植林の活動も幅が広がっていった。17種類の木の種まき・育苗を行い、固い岩だらけの急斜面にテラスを作る。そして2002年の7月には、5万本の木を植えた。
ある日、村の大人たちが「あたらしい畑を作りたいので協力して欲しい」と私たちに相談を持ちかけてきた。私たちがコンポストで育てた、美味しそうなトマトが市場にならんだので、それを見た大人たちも「こんな立派な作物を作ってみたい」という気になったらしい。私たちからの協力は、お金や物ではなく、活動のアドバイスと今年の分の種だけで良いという。 集まった収益金は共同便所やごみ収集、そして環境保護などに使うそうだ。活動を始めて3年目。お金でなく活動が評価され、村の人たちが動き始めたことに感激した。 フー太郎の森基金は小さなNGOだ。しかし小さいからこそできることもある。村人から「FFFは自分たちの声を聞いてくれる。」と喜ばれていることがうれしい。何も持たない自分が、ほんのちいさな出来ることで役に立てたことがうれしい。今もラリベラでは、鈴木麻奈が村人とともに奮闘しながら、植林活動を進めてくれている。 |
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