|
どこでもファレンジ!
|
||
|
スローなコーヒーブレークエチオピアで生活して1年半が過ぎ、毎日、数杯のコーヒーを飲んでいることに気が付いた。職場の昼食後に同僚と1〜2杯。3時頃のコーヒーブレイクでもう1杯。帰宅途中のカフェではほっとしながらまた1杯。更に週末は1〜2杯増し。 元々、私は濃いコーヒーを飲むと気分が悪くなるたちで、赴任早々あちこちで出してくれるコーヒーには閉口していた。しかし現地の人達と一刻も早く打ち解けたいと思 えば嫌な顔もできず、おべっかスマイルを浮かべて小首をかしげ、「ウウ〜ン、グ〜ッド!」とカップに口をつけていた。コーヒーの宣伝のようなポーズをとりながら深く飲み込まないようにチビリチビリすする濃い茶色のとても甘くて苦い液体は、この国に受け入れてもらう為のイニシエーションのようであった。それが今ではコーヒーにすっかり魅了され、段々味の違いなどが分るようになってきた。 コーヒーという言葉の語源とされる「カッファ(Kaffa)」は、エチオピアのコーヒー産地の地名で、そこの山羊飼いがピョンピョンと元気に飛び跳ねている山羊がコーヒー豆を食べているのを真似てコーヒー豆を食べた(当時は飲まずに食べた)のが始まりと言われている。それからコーヒー豆はアラブ商人などによって瞬く間に世界中に広まっていき、今では中南米やタンザニア、インドネシアなどがはるかに有名となってしまった。おまけに「昔、アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた哀れな男に、琥珀色をした飲み物を教えてあげました」の懐かしい「コーヒールンバ」が大ヒットして以来、あたかもコーヒーの元祖がアラブだと思い込んでいる人も多い。 エチオピアは人口の85%が農業に関わっており、外資の65%以上がコーヒーなのだが、大プランテーション農業ではないので生産量では他国に負けている。ところが、近年、オーガニックコーヒーとして、エチオピアコーヒーの価値が見直されるようになってきた。しかもなんと言ってもエチオピアには優雅なコーヒーセレモニーが日常生活に今もしっかり根付いており、この地こそがコーヒーの本物の発祥地であると納得する。 さてエチオピアの人から家でコーヒーを飲もうと誘われると、軽く1時間は覚悟しないといけない。コーヒーは、炒るところからはじまり、道具を使用し、客人をもてなす為に自分のお手前を披露する「セレモニー」としていただく、茶道のように礼儀作法のあるものなのだ。
その手順は、まずはコーヒー道具をお客のいる居間に揃える。「新鮮な自然の香りを持ち込む」という刈ったばかりの草を周りに撒いて、コーヒーを煎るための炭を燃やす。それから、コーヒー豆を水で洗って汚れを取り、豆の皮をある程度取り除き、熱した丸い鉄板で煎る。豆を均等に煎るのはなかなか難しいのだが、煙が立つと、コーヒーの香りを客に引き寄せ、客はそれを堪能する。そして小さな臼に入れて、叩いて潰す。この時、臼を持って家の外に出てとんとんと突くと、その音が隣近所に聞こえ、芳香な香が風に乗って「コーヒータイムですよ。どうぞ、いらっしゃ〜い」とご近所の人達を招くのだ。何と風雅な習慣ではないか。そしてコーヒーの粉末はジャバナと呼ばれる黒い土でできたコーヒーポットに入れて、グツグツ煮出す。 この間、客人に出されるのがコロと呼ばれる焼き麦のような豆やポップコーン等で、特別な日には直径30CM以上の自家製パンが出る。茶菓子と違い、甘くないお菓子 だ。世間話しをしながらコーヒーが煮えるのを待ち、その間に独特の乳香をたいて、その煙で神と下界との境界をせばめるのだ。香りと煙が部屋に充満した頃、コーヒーができ上がる。コーヒー茶碗はマグカップや紙コップではない。昔は土着のカップを使っていたが、今日では何故か中国式の小さな茶碗を使うのが一般的だ。人数分の中国茶碗を丸盆の上に並べ、砂糖を小スプーンで最低3杯はいれてから、ジャバナで満杯になるまでコーヒーを注いでいく。なみなみと注いでこぼれても構わず次の茶碗にコーヒーを注ぐ。そして主人がお盆を持って、客や家族に渡していく。 砂糖の量がびっくりする程多いので、最初は冗談ではないかと思ったが、慣れると甘ったるいコーヒーが癖になる。ブラックのコーヒーなどを飲んでいるのは好みというより何らかの事情でドクターストップがかかっているような人ばかりだ。 最初の一杯を飲むと、それより薄味の2杯目のコーヒーが注がれる。そして一番濃い3杯目のコーヒーを飲んでおしまいとなる。それぞれ、アボル、トーナ、バラカ(祝福・恩恵)ときちんとした名前まで付いている。それぞれのコーヒーの間が10〜15分位なのだが、慣れない内は、なんて長いのだと苛々していた。 エチオピア人宅に招かれると、食事の後に必ずこのコーヒーセレモニーがある。家によって茶道具ならぬコーヒーのお道具の素材や色やデザインが違うのでそれを見るのも楽しい。普段の家族の食後でもコーヒーセレモニーをして家族団らんの一時を持つ家が多いのは、子供が塾通いに急きたてられる日本の家庭より恵まれていると思う。 さて私の職場では、昼食を共にする秘書達が荒挽きの粉末コーヒーをヤカンに入れて、煮立てて飲ませてくれる。これがないと午後の授業中に猛烈に眠くなる。そして午後3時ごろになると睡魔が再び襲ってくるので、学校のカフェテリアでもう一杯。涼風の立つ仕事帰りにはお気に入りのカフェに立ち寄り、コーヒーとミルクが半々の大好物マキアートを飲み、ついでにでっかいケーキを平らげて「あ〜幸せ!」となる。 確か「コーヒールンバ」の歌詞では、アラブのお坊さんに琥珀色したコーヒーを教えてもらったら、恋を忘れた哀れな男は、「やがて心ウキウキ、とっても不思議、そのムード。たちまち男は若い女に恋をした!」とかだけど私にとってそんな効果は無い。もっぱら眠気醒ましと食欲増進の副作用。それでいいじゃないか。 いつしか私も週末には自分の家でコーヒーセレモニーを楽しむようになった。両親が私を訪ねて日本からやってきた時、私の家に遊びにくる近所の物乞いおばさんが床に敷く草や乳香やパンを用意して、コーヒーセレモニーに両親を招待してくれたので、二人は感激していた。それまで便利な文明から程遠いエチオピアから一刻も早く出国しようとしていた母は、人生観が変わったかのように、おばさんやその子供たちと何度かのコーヒーセレモニーを楽しみ自分から進んでダンスや歌まで披露して大いに楽 しんでいた。母はコーヒー嫌いで当然、物乞いの母子達と同席するのも生まれて初めてだったが、「心〜ウキウキ」で一緒に踊り出した。 悲しい事に、コーヒー栽培農家に渡る利益は少なく、流通業者や先進国に利益が偏っている格差構造になっている。つい最近、OXFAMというNGOなどがこのことを世界的に訴えたが、今日、コーヒー価は世界的に暴落しておりエチオピアのコーヒー産業は追い詰められている。昔から続けてきた無農薬栽培の品質として「オーガニックコーヒー」で売るのが、今後の希望となっているのだが、無農薬認定を取得する為には認定料を先進国に支払わなければならず、貧農がそれを負担するのは不可能だ。 この国では邪道のインスタントコーヒーを紙コップでテイクアウトする先進国のスタイルも悪くはないけど、時には「時間という贅沢」をかけて、深い香を鼻から胸の中まで深く吸い込み、人生のエスプリを転がして楽しむのも良いではないか。そしてたまにはほそぼそと豆を育て摘む農家に思いをはせ、その乾いた土の匂いや太陽の厳しさ、節くれだった黒い手を想像しながら、深いほろ苦さ味わってみたらどうだろう。そんな時にピッタリなのはエチオピアの酸味のあるモカ*以外に無い。(*エチオピアコーヒーは日本ではモカとして親しまれている。) |
|