どこでもファレンジ!

DV

 「ディービー、アンド・ブル、DV〜」と、街角の至るところで威勢のよい声が響く。DV(Diversity Visa)の季節がやってきたのだ。ご周知の通り、それはグリーンカード(アメリカ合衆国の市民権)を取得できる抽選の事で、応募用紙を少年の物売りが売りさばいている。普段の宝くじより当選確率は格段に良いそうで、慌しい通勤途中の人も足を止めて買っている。アンド・ブルとは1ブルの事で、米ドルで約80セントなのだが、米国なら3ドル相当の価値だろう。ここでは洒落たカフェでのコーヒー一杯が約1ブルだ。

 「1ブル出せば、アメリカン・ドリームに一歩近づくから買い得だ」と、私の周りのエティオピア人は皆、口を揃えて言う。
 「ヒロエはDVを知っているか?」
 「当たるかなー?」
 「本当に一通送るだけでいいのか?2通、送る必要は無いのか」と質問され、「何通も送ると、コンピューターで自動的にキャンセルされるらしいよ」と答えると、
 「おおっ!コンピューターで、か、、、ほー。」
 「で、アメリカはどんな国だったか」と、アメリカについての質問攻めに会う羽目になる。

 アメリカへ行きたいと言う人は驚くほど多く、留学と金儲けが主な理由のようだが、イギリスやドイツ、スウェーデンなども人気がある移民先だ。アメリカには現在50万人以上のエティオピア人がワシントンDCなどに暮らしていると言われている。

 何故、欧米に留学したいのか。それは、エティオピア社会が学歴を重視し、大学進学が成功への登竜門となるからだ。しかし正規の大学数は20校未満で、世界で通用する大学といえば、唯一、アディス・アベバ国立大学のみだ。それ以外の大学との格差があまりにも開き過ぎるので、進学希望者が殺到し、例年、入学倍率は15%以下に達する狭き門だと聞く。しかも生徒は年間約2,000人しか受け入れられておらず、教員不足も深刻で、入学後の学部の選択肢も狭い。近年、カレッジレベルの私大が徐徐に増えつつあるのだが、「勉強はある程度なら出来る」と言うレベルの人には未だ進学のチャンスは遠い。

 エティオピアの若者にとって、欧米に留学する費用は莫大で、資金のめどもないのに、志望校の資料を取り寄せる者がいる。航空便で届くと封筒の中からアメリカの空気がふわっと出てくる感じがしてウキウキし、カラフルな大学案内にうっとり。緊張しながら申込書に記入する内に、「もしかすると」と、期待が膨れ上がり、高い切手代を払って返送する。しかし数ヶ月待っても返事すら来ない冷遇に落胆し、現実の苦さをかみ締めるのが大方だ。首尾よく欧米の大学に入った友人や親戚の朗報を聞くと、祝福の笑顔を見せても、胸の内はチクチクと痛み、妬みの感情が渦巻き息苦しくなる。「あー自分もアメリカにさえ行けば」と、アメリカ行きが全ての問題解決であるかのように錯覚する若者も少なくない。

 金儲けに関しても、アメリカでのサクセスストーリーは羨望の的だ。「親戚の誰それがワシントンに移住し、数年で大金持ちになって戻って来た」、「自分の兄はカリフォルニアでポーターをしているが、ここで流行のカフェを経営するよりも多く稼いでいるから、その仕送りの御蔭で何何を買うことができた」等々「アメリカに行けば、お金持ちになれる」という安易な期待が浸透している。渡米した人が、アメリカのコミュニティの裏方で朝から晩まで働き続ける苦労話しを耳にしても、ばら色に燦然と輝くサクセス・ストーリーが目をくらませる。エティオピアでは最低1日に1回は、息抜きのコーヒー・セレモニーの時間を持てるけれど、米国のでは日曜日まではお預けだろう。。

 ある暑い日中、郵便局に立ち寄ると、DVの締め切りが迫り長蛇の列ができていた。その中に、20歳にもならない私の教え子が数名、神妙な顔つきで並んでいた。そう言えば、彼等のクラスメートである別の生徒から確か半年ほど前に進路の相談を受け、どういう訳かDVの話しになったなぁと思い出した。彼は「どうせ当たらないだろうけど、やっぱり毎年DVを送っているよ」と照れながら話していた。

 それから1ヶ月が経ち、その生徒が私を訪ねて来た。DVに当たったのだ。「やったじゃない!」と祝福すると、彼は妙に真剣な顔で当惑していた。彼の両親は大喜びで、既に内輪だけで祝いのパーティーをしたのだそうだ。しかし彼は浮かない顔で、アメリカの大学について2,3の質問をした後、この件は他言しないでくれと、しつこい程に念を押して帰って行った。確かに当選しても厳しい資格審査があるのだから、実際にグリーンカードが、取得できるかどうかは分らない。それにしても彼の表情が訝しかった。

 その頃、友人からこんな話を聞いた。DVに当選した20代の女性が、喜び勇んでDV資格の一つであるHIV検査を受けたら、あろう事に、自分がHIV保持者だと宣告された。地獄に突き落とされた心境とはこんな事を言うのであろう。アメリカに行けないどころか、エティオピア社会であからさまに差別されているHIV感染者のレッテルが貼られたのだ。DVの当選を周囲に伝えていたので、彼女が感染している事は忽ち広まった。女性は家に引きこもり始め、結局、自殺してしまったというのだ。。

 それでやっと私の生徒がDVの当選を隠す理由が分った。世界でHIV・AIDS感染者の数は4,200万人で、その内の2,900万人がサハラ砂漠以南のアフリカ諸国だ。エティオピアでは感染者が300万人を超えており、全世界のHIV・AIDS感染者の11人に1人がエティオピア人とも言われている程深刻だ。私はHIV保持者を受け入れないというアメリカの制限に、がっかりすると同時に、当のエティオピア社会のHIV・AIDSに対する偏見の根深さと残酷さを知った。

 ところで一度、渡米工作の偽装結婚式に招待された事がある。グリーンカードを持つアメリカ在住のエティオピア男性が、同棲している女性の妹を米国に呼び寄せるための儀式だった。アメリカの移民局の厳しい審査を乗り越えるためには、実際にエティオピアで結婚式を挙げて法的な婚姻関係を結び、その写真を証拠として提出するのだ。それは親戚20人程度の小さな結婚式だったが、民謡弾きと踊り子が座を盛り上げ、和気藹々と皆で踊り、神父の前で指輪を交換しての誓いを交わし、結婚のサインをする本格的なものだった。傍らでカメラマンがパシャパシャと証拠となる写真を撮りつづけ、新婦の母親が絶えずこのカメラマンに指示をしていた。式が終わり一同は式場外のベンチで寛いだ。ぽかぽかと暖かく心地良い風が流れていた。さて普通ならば、この後、豪勢な食事が用意されたレセプションが行われる筈なのだが、誰かが炭酸飲料のケースを運んできて、それで喉を潤しただけだった。着飾った花嫁の硬かった表情はいつしか満面の笑みに変化し、穏やかな日差しの中で光輝いて見えた。私は偽装と知りながら「結婚おめでとう」と言うのは、詐欺の片棒を且ついているようで、なんとも奇妙な気持ちでいた。しかし列席者と訳有り新婚カップルは、何の後ろめたさも感じていないのか大はしゃぎ。アメリカに移住するための方便とは言え、こんなお芝居を平然とやってのける人々が、「誇り高く保守的で伝統を重んじるとされる民族」、とは腑に落ちなかった。

 やがて人々の様子を観察している内に、「これは壮行会なのかもしれない」と感じた。一旦、アメリカに渡ったら、数年間は会えなくなってしまう。「DVは、近代アメリカの奴隷制度だ」とも言われているが、アメリカ社会の底辺を支えているのは移民達だ。米国での明るい未来の保証など無いのだから、せめて盛大に賑やかに送り出してあげようとしているのではないかと思えてきた。新婚さんに「グッド・ラック」と声を掛けた。「炭酸飲料だけの結婚式」、そこまでしてもアメリカに行きたいのか。

 かつて私は米国で5年間のワーキングビザを取得したのに、放棄した。アメリカ社会は自分には合わないと結論付け、弁護士費用を棒に振ってシカゴを去った。米国や欧州には行きたくなれば何時でも行ける。日本にいても然程に不自由を感じない程度の生活は送れる。アメリカにもビザにも全く未練はなかった。今、DVに夢を託す人々に囲まれて、自分がエティオピア人だったら、米国で働く資格をポイと放り出していただろうかと考え込む。他の人が渇望する程の物を、簡単に得て、簡単に放棄した。それは結局のところ、「自分が日本人であるが故に与えられている多くの選択肢」の有難さを認識していなかっただけなのではなかったかと振り返った。

 ところが珍しく、一度もDVを買ったことが無いという生徒を見つけた。彼は幼い頃に父を亡くし、12、3歳の頃に母親を交通事故で失っていた。 姉妹がいて、妹の学費などを世話しなければならないからガールフレンドは欲しくないと話していた。「みんなアメリカやヨーロッパばかりに目を向けていて、優秀な人材がどんどん流れ出てしまう。そしたらこの国の再建を誰が担うのだろうか。自分の考えは間違っているかも知れないけれど、僕はこの国でこの国の教育を受けて、できれば一生この国で暮らしていきたい」と語った。

 彼の言う通り、エチオピアからの「BRAIN DRAIN」(頭脳流出)は深刻な問題で、例えばここ10年の間に、医師の3分の1にあたる300人以上のドクターが先進国へ去って行った。2002年6月現在で、人口6,000万に対し、国内の病院数は110だが、歯医者が45人、専門医やその他の医療専門職を含めても518人しかいないとヨハネス医師が国連で報告している。

 国家や故郷等に縛られ拘る生き方や考え方を、国粋主義的で危険で、古臭いと軽蔑していた自分だが、「国を背負う」と言った青年の端正な顔立ちと澄んだ大きな瞳に、威厳さえ感じ、眩しくて言葉を失った。祖国日本、その世代、その社会の人々、過去の人たち、等から多くのチャンスを与えられ、現在、教師という立場にある私には、彼の夢を少しでも引き寄せなければならない責任があると身を引き締めた。

 この国で勤勉にこつこつと働いているのに、それ相当の見返りを得られない親達の後ろ姿を見て育ち、将来の展望も見出せない諦めムードが漂うエティオピア。DVでアメリカン・ドリームを追う人達に心から「グッド・ラック」と言おう。


同僚の結婚式(偽装ではありません)にて