「十字架の彼女」、「震える人」、「スキップの女の子」
JICAの青年海外協力隊員としての任地がエティオピアの首都アディス・アベバと決まった。標高2400メートルにあり、一国の首都としては世界で3番目に高いところにある。年中、秋の涼しさと言う人もいて、当然のように浮かんだのは、清々しい空気を胸いっぱいに吸い、冴え冴えときらめき降り注ぐ星の夜空を仰ぎ見る自分の姿だ。いや、待て。そもそも環境良好の住み良い国に、協力隊が派遣される理由は無い。悪い予感は的中する。
赴任したての頃は、空気の薄さではぁはぁ息が切れ、階段を登る時に「く、空気をくれ」と呻くほど苦しかった。半年が過ぎたのだが、毎日、車からの排気ガスと舗装されていない道路からの砂埃にまぎれ鼻の穴まで真っ黒。埃が入るからアパートの窓は閉め切ったままだ。まさかアフリカに来て空気に餓えるとは思わなかった。外から戻って着衣を洗濯すると、水はたちまち茶色く濁った汁になる。協力隊員は不潔と共存せねばならないのだ。
さて私がホテル経営学を教えている専門学校に着くまでの通勤時間は僅か二十分。通勤の足は白と青の4人乗り乗合タクシーだ。きっと人懐っこく明るいアフリカの人と同乗すれば和気あいあいと楽しかろう。ところがどうした事か乗客同士全く話し掛ける事もなく、全員むっつり無言無視。慣れない内は狭い車中で息が詰るような気分になったものだ。そもそも、「エティオピア」とは「陽に妬けた顔」という意味で、他のアフリカ諸国と違い、コーヒー色の皮膚の人々が多い。外見がそうだからか、誇り高いと自負するエティオピア人は自分達がアフリカ人だと認めていないふしがある。奇妙だがここはアフリカではなくエティオピアなのだ。

靴磨きの青年
しかし無言タクシーも慣れてしまえば、朝寝の続きが出来るから都合が良い。うつらうつらと体の芯に眠気が残っているが、約10分で「ワラジッ!(降りる)」と叫ぶとタクシーは止まってくれる。そして朝一番の勝負が始まる。ドアを開いて路上に出た途端、目覚まし時計が突然けたたましく鳴り響いたように車のクラクションがあちこちから鳴り、甲高い物売りの声が怒涛のように押し寄せる。一瞬にして眠気は吹っ飛び、足の先から頭のてっぺんまで全身戦闘モードに切り替わる。背負ったリュックをさっと前に回してひったくられないようにしっかりと抱き抱え、喉に付いた乾いた砂埃を飲み込み、「無事に着けますように」と念じながら、200メートル先の校舎を目指して人ごみを掻き分け突き進む。すると、行く手には数十人の乞食が集まる一帯がある。メキシコと呼ばれるこの地区は、メキシコ・シティーのように人通りが多く、特に朝と夕方の通勤ラッシュ時は、肩がぶつかる程の人でごったがえし、道端に座っている乞食を踏みそうになる時もある。
毎日風呂に入る習慣が無く、週に一度とか月に一度の入浴が普通の国なので、人とすれ違いざまの悪臭には今でも時々悩まされているが、最近ではかなり慣れてきた。しかし大勢の乞食が群れを成しているこの一帯の臭気は、死臭とはこんなものなのかなと連想してしまい、生理的にぐっと息をこらしてしまう。アディス市内は近年の車両増加により、空気汚染も凄まじいから、いっそ鼻に綿を詰めてしまいたくなる。息を止めて小走りするのだが、空気が薄いから、ふらぁと気を失いかけた。こんな所で倒れたら一巻の終わりだ。どこの国でも物乞いの姿は哀れだが、暗闇で見ると怖いものだ。ここでは大勢の乞食達が一斉にお金をせがんでくるので恐怖以外の何ものでもなく思わず後ずさりしそうになる。執拗に追っかけて来る者もいるから、校門に辿り着くまで自分の身を守る事で精一杯だ。「君子危うきに近寄らず」を信条にしている人は隊員にはならないほうがいい。
目線を合わせず出来るだけ人から離れて乞食ゾーンを通っていたのだが、やがて彼らの様子が目の隙間から入って来るようになった。弱々しく地べたに横たわり、足が像の足のように腫れている初老の男。火傷で顔が白くめくれている男。Tシャツをまくりあげ、異様に膨れた腹をぽこっと突き出して座っている男。外傷はなさそうだが大声で何かをわめいている男。聖書を朗読し聖人らしい人の写真を並べている男。お腹に赤いボタンのような物が張り付いている男やポリオで足の先が細くなったおばあさ
ん。指の無い手を狂ったように振りまくるおじさん。義足を抱いて地べたで寝ている男や道路の真中で死んだようにうつぶせになっている人。背負った不幸が様々な形で表れている。
女の物乞いも多く、ある日、上半身裸の女が、悲しみのマリア様が祈りを捧げているようにひざまずき、涙目で何かを訴えていた。訳ありげな姿に思わず貰い泣きしてしまい、この「十字架の彼女」の姿は脳裏にこびりついた。中でも見るに忍びないのが子連れの物乞いや子供だ。ある5,6歳の大きさの女の子は、一人ぽつんと悟りにでも入っているかのようにあぐらをかいて座り、瞼を閉じて低い声で歌っている。その子は髪の毛が短く、シャワーを浴びて清潔にすれば、幼い頃の自分自身に似ているではないか。おてんばで何不自由なく毎日が楽しかった子供時代の自分の姿が浮かんで、その子と重なり痛みが心を刺した。また、今の私と同年くらいの女性が数人いて、それぞれに赤ん坊を抱え、早朝は、皆一斉におっぱいを出して乳を飲ませている。日がな一日、ぼーっとしているだけの母親を尻目に、こんな状況の中であっても赤ん坊達は日増しに成長している。以前は、母親の胸に大事そうに抱きかかえられていたり、白い布で背中におぶられていた赤ちゃん達が、最近ではゴミが散乱している母親の周りをハイハイしながらはしゃいでいたり、小便をたれながら泣いている。何もせずにただ足早に通り過ぎる自分に「偽善者」と心の声が聞こえる。
そうこうしている内に彼らと眼を合わせられるようになってきた。段々と憐れみという感情は消え、観察してみようと言う好奇心が湧いてきた。何故だか小刻みにブルブルと身体を震わせている男性がいる。下半身をわずかに布で覆い、後は素っ裸で体を折り曲げ、汚い布の上に置き去りにされたかのようである。白目を剥いて今にも死にそうだ。ギョッとした私はわざわざUターンして「震える人」の前にお金を置き、その場を立ち去った。それから頭の中に彼の姿が焼きつき自責の念で苛立った。先進国で死にかけている人を見たら、すぐさま救急車を呼び、何らかの救助を試みるのが当然であるのに、私はたったの10セントで済ませた。しかも周囲の人達もその人を見過ごしてそのまま通り過ぎている。その人の前には10セント硬貨が大量に散らばっていたが、死にかけている人にどれだけの助けになるのだろうか。
歩きながら考えを巡らせ、ふと立ち止まって後ろを振り向きびっくりした。男が身体をわずかに起し、薄目をあけながら硬貨をかき集め整理整頓しているではないか。それから自分の体勢を整え、人が近づくとまたもやブルブルと震え出した。その見事な役者振りに、裏切られたと思うより、なるほどと感心させられてしまった。更に驚いた事にそれから数日後、突然、その男と別の道で出くわした。そこでも同じように不気味な「震える人」を演じて稼ぎまくっていた。外人は金持ちだと思われているので、私が通ると「金、出せよ」と言わんばかりに下からじろっと見た。パフォーマンスの上手い彼のせいで、他の正真正銘、可哀相な物乞いの分け前が減っている事を不愉快に思っている私は「この人のは、演技ですよー」と叫ぶか、本当の救急車でも呼んでしまおうかと考えてしまった。
それから以前、貰い泣きした「十字架の彼女」は、最近では、私を見てニヤッと笑うようになった。瞳の奥にドルサインがビカっと光りを放つような狡猾な表情で、貰い泣きしそうになった自分に嫌悪感を抱いてしまう。
街の至る所にあふれる物乞い達は、背負った悲惨さを時に独創的に目一杯にアピールし、「お金はここへ」と言わんばかりに、ぼろきれを目の前に敷いてたくましく生きている。信仰心が篤いこの国の人々は、当然の事のようにポケットからほいっとお金を落として行き、人気の物乞いの前には10枚や20枚の硬貨がアッと言う間に溜まっている。ここではパンが20セント(3円)で買えるから、これで辛うじて食べていけるのだ。日本人の同僚の中には、乞食達は働くべきだと言う人もいる。しかし失業率が40パーセントとも言われるアディス市内で、物乞い達にどんな仕事があるというのだろう。「働くべきだ」は正論であっても日本人の尺度では、到底、判定を下せない根深い貧困ではないだろうか。
しかし憐憫の情で施しをしようものなら、あちこちから我も我もと乞食達が群がってくる事は火を見るより明らかだ。それは「ファレンジ(外国人)」にとっては自ら危険を呼込むのに等しい行為だ。危うきには近寄るべきではない。。。しかし出来る事は実行していきたい。
またもや物乞いの母子が近寄って来た。子供が精一杯悲壮な表情を作って私にすがってくる。そして横目で「自分なりに頑張ってやっているんだよ」と言わん ばかりに傍らの母親を見る。私は「冷たく拒否せよ」と自分に言い聞かせ、硬い顔をする。これが君子の態度なら、君子とは何と後ろめたいものなのだろう。
学校での勤めの帰り、乾いた風が急に冷え込んでくる。細かく拡散した砂埃が夕日に照らされきらきら光っている。一人の女の影の傍らに小さい影がぴょんぴょん跳ねている。幼い乞食の子がスキップしながら、まるで楽しく散歩をしているかのように母親と一緒に歩いていく。二人はどこに帰るのだろう。あの子は何に向かって歩き、何を学んで成長してゆくのだろう。二つの影を追うように道端のごみ袋が舞っている。
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