2002年3月 「考える会」合宿
3月2-3日、「考える会」として初めてアジスアベバを離れて、合宿に行ってきました。獣医師の野田浩正さんが10年以上にわたってかかわってきたプロジェクトを訪れました。以下はその報告です(報告者 西真如)。
2日朝、ランドクルーザーでアジスアベバを出発し、獣医師の野田浩正さんがかかわってきた南部州グラゲ地方ゴロ郡とオロミヤ州西シェワ地方アメヤ郡のプロジェクトを訪れました。ノダ農協、ワルガ市場、フィッテ小学校などを見ながら、10年以上にわたる野田さんの活動を大急ぎでたどる旅になりました。

ノダ農協
野田さんが活動してきた地域は、社会主義政権(1974-91)が実施した大規模な再定住計画のもとで、多くの農民が入植させられたところです。再定住計画は、アムハラやカンバタなどの人口過剰地域の農民を、人口密度が低い地域に入植させることで食糧問題の解決を図ったものです。
社会主義政権は、農民を説得する手間をかけずに強制的に移住させたことで国際社会の非難を浴びました(注)。
(注)この記述について、野田さんから次のようなコメントを頂いています。
「カンバタからの移住者に聞きますと、結構、移住希望があって、皆で応募してやって きたようです。何しろ、土地不足は1974年の時点で深刻だったようです。ワライタからの人々も同様だったようです。また、アディスアベバのマルカート等でバレンダ・
アダリ(ホームレス)だった人たちは、夜陰のまぎれて徴集され、バスに乗せられて 連れてこられたと聞いております。
実際連れてこられた部族は多彩で、アムハラ、カンバタ、ワライタ、スルテ、ティグレ、カベナ、シャンカル(オモ川流域の少数部族でしょうか?)がいます。当時、カンバタとハディヤの違いが言われていなかったので、カンバタの中にはハディヤもいるのでしょう。先住者は、オロモ、グラゲです。」
1991年に発足した現政権は再定住計画を放棄し、強制的な移住は終わりましたが、他方で既に移住した農民が、入植地に放置される結果となりました。
そしてこれらの入植地は、入植者と先住民とのあいだの紛争や、栄養状態の悪化など、様々な問題に直面することになります。ゴロ郡やアメヤ郡の入植地では、牛の疫病であるトリパノソーマ症によって多くの牛が失われたため、土地を耕せず貧困にあえぐ農家が増加しました。そこで獣医師の野田さんがこの地域のプロジェクトに招かれたわけです。
なお野田さんの活動については「ノダ農協」のページに詳しいので、ここではこれ以上触れません。3月2日、アメヤ郡ではアカシアの花が満開でした。遠目には満開の染井吉野のようにも見えます。

満開のアカシアの花
2日の夜はFood for the Hungry International / Ethiopiaのプロジェクト現地事務所に泊まらせて頂きました。夕食を頂いたあと、エチオピアを開発するという行為の意味について夜更けまで議論しました。
「開発者はいつも、彼が抱いている開発のイメージに従って、地域を急速に変化させようと努力してしまう。その急速な変化はしかし、エチオピアのひとびとの生活の時間とかけ離れていないだろうか。ひとびとが開発について考える時間を与えられないままに、変化が強要されているのではないだろうか」という疑問が、野田さんから提出されました。
それは何よりも、効果的な開発という概念についての疑問です。限られた時間と資源を用いて、地域の開発指標を速やかに改善することは、あらゆるプロの開発者に求められる能力です。しかしそこでは、開発ということの意味とそれがもたらす結果について、住民がどれほど真剣に考慮したかは、不問にされます。
それはまた、住民参加という手法についても疑問を提起することになります。住民参加はプロジェクトの効果と持続性を確保するための手法として人気があります。開発者が学校とか保健所、水道といった手持ちの開発パッケージから住民に欲しいものを選ばせ、また事業に必要な資金や労働力を住民に負担させるという手法が開発事業を促進するのは当然ですが、それは開発の意味とその結果を住民が知っている、ということを保証するものではありません。
効果的な開発という概念、住民参加という手法は、開発者と住民とが、開発の意味とその結果を考えないまま開発行為に邁進することを、許してしまうかも知れません。
エチオピアのような国ではどんな僻地の農民でも、自分たちは「取り残されており、貧しい」生活を営んでいることを「知って」います。またアジスアベバで開催される会議やワークショップでは、エチオピアの文化の「後進性」や、その「反開発的」な性質が、ことあるごとに攻撃されます。まして開発しないという選択肢について語る余地は、農村でも首都でも、残されていないかのように見えます。
そのような状況だからこそエチオピアでは、開発の意味とその結果について誰も真剣に考えないままに、誰もが開発に関わることができてしまうのです。

余談ながら、夜が更けるにつれ議論は本題をはずれ、携帯電話の普及の是非にまで及びました。携帯電話はコミュニケーションを促進するという意見と、電子技術に依存する人間関係を疑問視する意見とが対立し、歩み寄りを見ないまま夜中の三時半にお開きとなりました。