2002年1月 袋小路の周縁社会?
オロミヤ州南部のボラナと呼ばれる牧畜民のもとで調査をおこなっている田川玄さん(文化人類学)の報告です。ボラナの人びとは20世紀を通じて、政治的、経済的な意味での周縁社会として、エチオピアという国家に組み込まれてきました。この過程がもたらした変化は、深刻化する民族紛争と環境の劣化という悪循環に帰結しているように見えます。
2000年の干ばつをきっかけとして、ボラナへの開発援助が本格化しています。しかし田川さんは文化人類学の立場から、ボラナ社会が独自の論理で生活環境の変化に対応し、生き延びてゆくことを期待します。
袋小路の周縁社会? 田川玄(社会人類学)
近代国家への包摂と環境劣化、社会変化は密接に関係している。どれを取り上げても他の事柄と切り離して語ることはできない。現在のボラナの状況は近代的な領域国家の枠組みにそったものである。それは政権の交代を通して、さらに強化されている。この状況は隣接民族においても同様であり、自然環境の厳しい国境付近の周辺地域の袋小路において相互に競合することになる。
現政権により民族単位の行政区分が成立した。ボラナはオロモ州に組み込まれ、名目的にボラナ行政区を与えられた。その結果、ボラナの居住区に点在していた相対的な少数民族や隣接民族への政治的な圧力が生じ、排他的な民族アイデンティティの確立と行政領域への主張とが結びつくことになる。
これは、それまではゆるやかな支配従属あるいは敵対関係にあったとはいえ、自然資源を共有してきた民族間関係の崩壊、あるいは資源共有の可能性の否定を意味し、自然資源をめぐる紛争は新しい国家政治の民族の領域区分の枠組みによって語られ争われることになる。昨年10月に勃発したGarriとBoranaの紛争がこれを示す。
一方、ボラナの自然環境、生業形態と生活形態は国家の政策にそって変化してきた。ボラナ自身の語るところによれば、昔は人口と家畜数が疎らで、大乾季の終わりに野焼きを行ない良好な牧草地を再生させた。こうした時代はボラナが豊かであった時代として語られる。
この時代の決定的な終焉は、デルグ時代に求められる。この時代は、ボラナの近代領域国家への本格的な包摂の時代であるとわたしは考えている。それは良くも悪くも政府がボラナの自然環境の管理に干渉をはじめた時代である。
皮肉なことにこの時代は政治的にはボラナにとって良好であり、さらにいうと人口増加と家畜の増加はボラナが望んでいたことには違いない。しかし、それは現在の環境と政治の文脈では否定されるべき事柄になってしまった。
定住化、農耕化、商業牧畜と現金経済の浸透、人口増加と家畜の増加、牧草地の疲弊、貧富の差の明確化、近隣諸民族との紛争といった現象は、エチオピアという近代的な領域国家へのボラナの包摂の過程から生じてきたものである。
残念ながら現在のところ、これ以上のことをわたしは語ることができない。同様にこのように近代国家において周縁におかれた牧畜民について、明るい未来像を語る人は少ないように思われる。それでは、環境と社会のあり方について、どのようなことを語る人類学者は語ることができるのであろうか。
少なくともわたしの語ったボラナの社会変化と環境の変遷は、はじめから近代的な領域国家の枠組みを前提としたものである。したがって、その語り方は近代国家の枠組みをこえることはできないように思われる。このような枠組みをどのようにこえて語ることができるのかであろう。
「考える会」で配布されたレジュメの全文(borena.txt)