2001年10月 革命的民主主義
革命的民主主義はエチオピア連邦政府の与党「エチオピア人民革命民主戦線」の政治哲学として広く知られるようになりましたが、それがいったい何を意味するのか、理解するのは容易ではありません。山尾まゆさん(政治経済学)より革命的民主主義についての発表がありました。
革命的民主主義について(山尾まゆ)
(1) 「革命的民主主義」の(再)興隆
今年3月にTPLFが分裂、その後、与党が行う「修正運動(Rectification Movement)」のなかで、「革命的民主主義(Revolutionary
Democracy:以下、「RD」と省略)」という言葉が頻繁に聞かれる(下記注)。
政府は、エティオピアの政治・経済・社会問題、果ては外交問題に至るまで、RDをあたかも「全ての問題の解決法」であるかのように用いている。今後、エティオピアの国家政策の理論的基盤となるべきRDとは何なのか。それは、エティオピアの国民統合、(経済開発を含む)国家建設の求心力となるのか。それとも、多くの批判勢力が述べるように、政府のドグマ的イデオロギーに過ぎないのか。
(注)ただし、RDの概念は、与党連合「Ethiopian Peopleユs Revolutionary Democratic Party」の名にもみられるように、現政権成立当初から存在した。
(2) RDとは何か
RDは以下にみるように、エティオピアの現実を反映させた理論的拠り所を持ち、また実践における勝算、戦略(下記4参照)を持つ、ある程度まで高度に体系化された考えであるといえる。また、RDは、エティオピアの社会に民主主義を適応させることに伴う、実際的な必要性から生まれたものであるともいえる。
エティオピアの社会経済的状況には自由民主主義は適応不可能であるという考えを基に、自由民主主義とは対照的なRDという概念が生まれた。RDの目的は、(個人の権利ではなく)大衆の権利擁護であり、これは実質的には、エティオピアの人口の大半を占める農民の権利擁護を意味する。
また、貧困下にある農民の「権利」には、政治的権利のみならず経済的権利(経済成長のプロセスに携わり、またその恩恵を受ける権利)が含まれる。さらに、市場によって大いにコントロールされる自由民主主義と異なり、RDにおいては「中央(政府)による指導」という手段が取られる。RDは、この意味で、多分に自由民主主義に対置する概念であると理解してよい。
(3) RDへの批判
政府がRD路線を全面開花させるに伴い、RDに対する以下のような批判の声も大きくなっている。第一に、「前衛党」による指導は、中央集権的かつ権威主義的であり、民主主義の原則とは相容れない。与党は、「RD以外にエティオピアの発展の道はない」とさえ公言しており、政府による「真理の独占」という批判も聞かれる。
また、RD路線に従わない者へのパージを示唆、(あるいは実行)していることからも、非常に権威主義である。この意味で、現在のRD路線は、「大衆の利益擁護」を隠れみのとし、独裁を行った前社会主義軍事政権の手段と同じであるとも批判される。
第二に、とりわけビジネス、開発等の経済分野に従事する者により、イデオロギーへの傾倒という批判がなされている。「RD路線に沿った政策は具体性に欠け、観念的にすぎる」、「政治に偏向している」など、RDの現実性、効率性を疑問視する声が聞かれる。
(4) RD追求の動機
このような批判にも係わらず、政府はなぜRDを追求するのか。第一に考慮すべきは、「エティオピアにとって民主主義とは何か」という問いに関連し、RDが自由民主主義に代わるオルタナティブとして追求されている点である。
自由民主主義は高度な産業社会が実現されてはじめて実現されるもの、ゆえに、現在のエティオピアにとって適切なシステムではない。いわば、RDは、(西欧社会の特殊な状況から生まれた)民主主義をエティオピアの状況に適応する際の必要性に基づき、追求されているものとみることができる。(なお、発表者は、この点においてRDが評価されるべきであると考える。自国の現状を鑑みず、大国のヘゲモニーに飲み込まれて、自由民主主義に盲進する途上国は多い。)
第二に、エティオピアは、民族間の確執により「容易に国家の分裂という危機にさられる(「2001/02年度連邦政府行動計画」)」国であり、国民が団結して国家建設(開発)という目的に邁進するために何らかの求心力が必要とされると考えられ、RDがその役割を果たすことを期待されていることが推測される。(なお、政府は折に触れ、RDに対する国民の積極的参加、協力を呼びかけている。)
最後に、与党はRDの勝算を考慮し、またRD遂行のための戦略を持つ。つまり、実現可能であるから追求するのである。RDの敵である資本家は、エティオピアの資本主義が未発達なために弱く、また、官僚主義は地方及び中央政府の行政的手段により弱体化されることとなる。他方、RDは人口の大部分を占める農民の支持を得ているため、エティオピアの現状はRDにとって有利である。
さらに、RDの戦略としては、エティオピアの法体系全体を大衆の権利擁護を目的としたものとし、支配階級が大衆の権利に背いた場合、法で罰することを可能にすること(実際、TPLFの分裂以来続いた、反メレス派のパージにおいては、「民主主義にもとる」、「違憲行為を行った」等の表現が多用されている)、農村にて国家の役割を実践すべき「RD部隊(RD
forces)」が融資システムのコントロール等を通じて権力を確保し、RDの推進力となること等が挙げられる。
(5) RDの将来
RDの今後(成功あるいは失敗)について判断するのは、現段階では難しいが、以下のような点を判断材料にすることが適当であると思われる。
5-1 RDは目的を達成できるか
第一に、RDは必要とされる正統性を確保できるのか。つまり、国家政策としてのRDは国民を説得することができ、その目的達成のため国民の協力を得られるのか。この点に関して重要と思われるのは、RDが、(国民が最も必要とし、またRDもその成就を約する)国民の物質的ニーズの充足を達成することができるのかということである。(残念ながら、当地在住の発表者が現在、観察する限りでは、国民のRDに対する眼は冷たい、またはRDは十分に知られていない。)
第二に、RDは経済原理との整合性を持つのか。RDが開発政策でもあるという点を考えると、その経済的効率性を無視することはできない。しかしながら、例えば(農民の支持を確保するための)現行の土地政策は効率的なのか、というような問題が考えられる。
第三に、ドナー諸国からの圧力をはじめとする外部環境とどのような関係を持つのか。与党は、既にドナー諸国から自由化、市場主義への圧力を感じているのか、RDは徐々にその語調を和らげており、社会主義的な表現は減少する傾向にある。
5-2 RDに基づく「非民主的」な政治体制は存続可能か
RDの推進は、政治化されたカドレの忠誠心に基づいたものであるといえる。また、周知のように、中央政府とカドレの間にはいわゆる「パトロン・クライアント関係」が存在する。なんらかの理由で、この政治ゲームのバランスが崩れ、現政権に対するカドレの忠誠心が失われた場合、RDの遂行はもちろん政権の安定性も危うくなると考えられる。
また、RD路線に反するという理由で、改革(開発)に真に貢献する意見を取り入れないということは、長期的にみれば、改革(開発)の成功を阻むことにつながると考えられる。
お断り:上記の発表内容は主に、政府の公開文書、新聞(政府紙、民間紙)を参考にしています。