音楽職能民

アズマリのうたにみる「蝋(ロウ)と金」の暗喩表現

“ゼラセンニャ”は数あるアズマリのレパートリーのなかでも特別なうたである。なぜならこのうたには、“サムナワルク - 蝋と金”とよばれるアムハラ詩独特の暗喩表現が数多くちりばめられているからだ。ことばの一義的な意味が蝋のように溶け、隠れた意味が、すなわち金の部分が、聴き手の頭の中で徐々に姿をあらわしていくというのである。「金」は、教訓や諷刺的なモノローグであることが多い。

ゼラセンニャは酒場においても結婚式の演奏の場においても、男性アズマリの独唱で一番最初に演奏されるうたである。曲に一定のリズムはなく、メロディの起伏も少なく、いわゆる語りに近いものがある。しかし“ベトゥメタ”と呼ばれる二行づつ連なる脚韻によることばの響きは、曲に美しい昂揚感を与えている。ゼラセンニャは、神の恩恵に感謝する以下のようなイントロ部分から始まる。

神を褒め称える
朝から晩にかけて
なにをおいても神を賞賛すること
神の恩恵は多大である
しかし我々はその恩恵に報いきれていない

このあとは2行から8行ほどの短い詩の集まりが続くが、詩は4行でひとまとまりになっているケースが多い。各詩は短いながら、内容に関しては完結性が高い。蝋と金は、詩の各まとまりの最後の行に出現する。聴き手には、蝋を溶かすちょっとしたことばあそびの作業が、要求される。うまく説明できるかどうかわからないが、うたのテクストからいくつかまとまった詩を紹介し、蝋を溶かし金を掘り出していくことにしよう。

近頃の農民達は
農地に関してなにも知らない
ここは砂地だと決めつけて通り過ぎてはいけない
耕せ!ここは 土であるから

「耕せ」の部分が、蝋と金の出現する場である。命令形「耕せ」はアムハラ語で“アラソウ”であるが、ここでこの単語を“アラ”と“ソウ”というというように真ん中でまっぷたつに割ってみる。そうすると、“アラ!”(え!あれ!)という驚きの感嘆詩と、“ソウ”(人)という名詞になる。そこで、

あれ! 人は 土である
【金】 人は(いずれ死んで)土になっていく

という隠された意味が導き出される。次の例をみてみよう。

むこうのほうに壷づくりの女性がいる
貧しくてたべるものに困っていると聞く
誰が彼女に告げようか
粘土が(つぼ造りに適した)土になると

ここでは粘土の部分に蝋と金が出現する。金に辿り着くには、粘土 - “グラ”の発音を少しだけ変えてやればよい。“グラ”を“ガラ”(ひとの体)と読み替えるのである。するとまた、

【金】人の体は土になっていく

という金が導き出せる。

デンベチャに着くと、辺りはもう真っ暗だった
まだダモトゥが残っている

二行の短い詩である。デンベチャもダモトゥもそれぞれゴッジャムの地名である。「蝋」は、デンベチャにやっと着いたが、今日中にでも急いでダモトゥに着かねば、という焦りが感じられる内容である。ここでは、“ダモトゥ”を“ダ - モトゥ”と切り離し、さらに“ウダ”(義務、負債)- “モトゥ”(死)とやる。そうすると、以下の金に到達する。

【金】まだ死という負債をわれわれは抱えている

死に対する漠然とした諦念や覚悟をイメージさせる【金】を包む詩をこれまでみてきた。【金】のなかでも、死を連想させる類はもっとも多く登場する。あのお調子者で道化役者的なイメージをもつアズマリたちがこんな内容をうたっていると思うと不思議である。(と言うと、アズマリたちに失礼であろうか?)しかしながら、死のみが【金】のテーマとは限らない。以下をみてみよう。

ゴッジャムでロバを買った
(ロバは)大きくもなく小さくもない
ゴンダールに運び売ることを考えていたが
スィメンで消えてしまった

ゴッジャム、ゴンダール、スィメンはそれぞれ地名である。「蝋」のみに目をやると、せっかく売る予定であったロバを無くしただけのたわいもない話に聞こえる。しかしここでも一つの単語の発音を少し変えるだけで、【金】が導き出される。スィメンの発音を少し変え、“スム”(名前)とやると「スム(名前)が消えてしまった」となる。これはアムハラ語で「個人の名誉が地に堕ちる」という意味の慣用句として用いられる。よって

【金】名誉が地に堕ちた

がここでの【金】となる。エチオピア封建社会時代、王侯貴族お抱えの楽士でもあった彼らが、漏と金の暗喩法を用い、パトロンである主君を婉曲に攻撃したと聞く。この詩の【金】にその頃の時代の名残があるなどと、決して断言などできないものの、メタファーによって主君を攻撃するアズマリの姿を、この詩から思い浮かべるのも楽しい。

以上、アズマリのうた、ゼラセンニャのなかから数編の詩を抜き出し、蝋が溶け、金があらわれ出るまでの過程を少々乱暴ぎみに解説してみた。これらは数多くあるゼラセンニャの詩の、ほんの一部分に過ぎない。また蝋の溶かしかたに関しても特定のルールがあるというわけではない。蝋と金は、難解で、やっかいな暗喩表現ではあるが、ひょっとするとエチオピア・アムハラ人の心性を理解する鍵となる何かが、蝋の下に通奏低音のように流れているのかもしれない。

註)ゼラセンニャの詩はいずれも2002年8月、ゴンダールにて、アズマリのジェグノ・ガブリエル氏より拝借したものである。