土器職人への道

土器を作る人びと
「エイエー! エイエー! モリエーはブナ・アクシャが作れるようになったのか。さては、嫁に行く気だな!」

エイエーというかけ声は、アリの人たちが驚いたときによく使う感嘆詞だ。ブナ・アクシャは、コーヒー(アリ語でブナ)を煎るために用いる直径50cm程の円盤形をした土器のフライパン。私の土器作りを冷やかしにしばしば遊びにやってくる近所のおじさんが、ブナ・アクシャをつくっている私に向かって歌うように声をかける。

アリで土器をつくっているのは、マナとよばれる職能集団(注)の女性たちである。アリ地域には、粘土産出地が10ヵ所以上あり、その周辺に土器作りの職人とその家族が集住している。1つの産地の周辺には25人から100人くらいの職人たちが暮らしている。

(注)アリでは、土器、鉄器、木工品など、工芸品を専門につくるひとびとがいる。彼らを、マナとよんでほかの職業(農業)に従事する人々とは区別している。かれらは、農業を生業とする人々や、土器以外のものづくりの人々と結婚することは伝統的に禁じられている。エチオピアの多くの地域においても、ものづくりに従事している人々は、ほかの職業に従事している人々とは区別されて呼ばれたり、婚姻関係を結べない場合が多い。

この人びとのあいだに誕生した娘は、6才ころから母親のそばで土器づくりを学び始める。最初につくる土器は、ブン・ティラである。母親はまず、ブン・ティラを作るのに必要な量の粘土塊をつかみ取り
「こうやってつくりなさい」
といいながら、自分の手の動きを示すとすぐにその粘土塊を娘に手渡してしまう。娘は母親の手の動かし方を観察しながら、見よう見まねで土器づくりをはじめる。はじめて土器をつくる娘に対して母親は、
「私の手と娘の手はちがうのよ」
といって彼女の土器づくりに介入することはほとんどなく、手をとって教えることはない。娘ははじめから終わりまで全ての製作過程をひとりで行うのである。

daughters.jpg
母親のそばで一緒に土器作りをする娘たち

ブンティラをつくることができるようになると、次は同じ形でひとまわり大きなエキナ・ティラを作りはじめる。このようにして、娘たちは小さな土器から大きな土器へと徐々にその作り方を習得していく。土器を作りはじめて3年目になるイタヤタは、2000年9月の時点で、エキナ・ティラを作ることができたが、それより4〜5cm大きいモサ・ティラをつくることはまだできなかった。
「お母さんにも、モサ・ティラをつくれっていわれているの。作り方は知っているの。でもね、2つ作ったとしたら1つはこわれちゃうの。」
その彼女も2001年6月には、
「小さいモサ・ティラをつくれるようになったわ」
とうれしそうに報告してくれた。

娘たちは、作ることに加えて、マーケットで土器を売ることもおぼえなければならない。市の立つ日の朝、母親に火入れをしてもらった土器をエンセーテの葉にくるんで、歩いて1時間ほど離れた市に背負っていく。穀類、野菜類、果物などの価格相場がほぼ一定なのに対して、土器は、鉄器、木工品、家畜などと同様に売り手と買い手の交渉によって値段が左右される。土器を売り買いする交渉の場面はしばしば殺気立つ。職人たちは土器を買ってもらうために、売り手として低姿勢になることはほとんどなく、呼び込みなどまったくしないで客が近づいて来て価格を尋ねたときにはじめて口をひらく。

職人たちは一番小さなブン・ティラでさえ1ブル(=約17円)以上の値をつける。1ブルあれば、エチオピア独自の発酵パン、インジェラが5枚買える。たいてい客はもっとまけさせようとし、職人はある程度までは譲歩して交渉を続けるものの、気に入らなければ客を追い返してしまう。イタヤタも、はじめはもじもじと下を向きながら交渉していたものの、むりやり40セント(1ブル=100セント)渡して買っていこうとする客から土器を取り戻し「売らないわ!」と叫んでお金をつきかえした。

娘たちはエキナ・ティラが上手に作れるようになると、その次はナベやコーヒーポットのような形の違う土器を作り始める。私が作っていて冷やかされたアクシャという土器は、モサ・ティラやガビジャ・ティラが十分作れるようになってからでないとむずかしい。一人前の職人も修行中の娘たちもそのことはよくわかっている。このアクシャが壊れずに作れるようになり、酒造り用のマタージャ、ビルキ、インジェラを焼くバルシアクシャなど大型の土器を作ることができるようになると、そろそろ結婚話がもちあがる。つづく>>