音楽職能民

エチオピアの音楽職能民ラリベロッチとアズマリ

川瀬慈(文化人類学)

音楽は有史以前から育まれてきた、人類に普遍的な営為のひとつである。それは第一義的には、人の聴覚に訴える美の表現である。また音楽は、宗教などの儀礼や政治などの脈絡の中で社会的機能を負わされることもある。

しかし、音楽の美やその社会的機能について語られることは多くても、それが時としてヒトが生活して行くためのための巧みな戦術、いわば生業の手段として成り立っている事実に目がむけられることは比較的少ない。

アビシニア高原の代表的な音楽集団、ラリベロッチとアズマリ。生きるための手段としての音楽をその長い歴史のなかで培ってきた両者を、ここに紹介したい。


ラリベロッチの夫妻

第一話 ラリベロッチ
<ラリベロッチの音楽 - mp3形式, 600kb>

男の低い呪文のような語りに女の伸びやかな声が、時に重なり、離れながら薄明の高原の冷気に溶けて広がって行く。

ラリベロッチ(註1)の登場である。ラリベロッチはエチオピア北部、アムハラ地方を広範に移動しながら歌うことを生業として生活する人々、いわば音楽職能民ということができる。穀物の収穫によって農家の家計が潤いはじめる12月、ラリベロッチのシーズンがアムハラ高原に到来する。

“さあ、出てこい、神の寵児よ。招かれざる客はとうとうお前のもとにもやってきたぞ。”

(註1)単数では“ラリベラ”。“ハミナ”などの蔑称を始め、その呼び名には大きな地域差が認められる。

ラリベロッチは男女のペアで行動することが多く、各家々の玄関口で、楽器を用いず延々と合唱を繰り広げる。合唱といってもこの場合、家の住人からいわゆる“浄財の喜捨”を誘い出すこと、食べ物を施してもらうこと、がはっきりとした目的である。

いざ住人が充分な金(5ブルから10ブルあたりで充分だろう)や食物をラリベロッチに施さないとどうなるか、恐ろしい呪いの文句が彼らを待ち受けているのである。一家の貧苦、はては家族全員の死を招く呪いの言葉を残して、ラリベロッチは朝靄の中どこへともなく消えてゆく。

古来エチオピアでは、ラリベロッチは物乞いを行う“コマタ”の音楽集団と見なされてきた。コマタはハンセン病患者に対する蔑称として用いられる言葉である。他方で、その偉業の数々によって聖人と崇められている12世紀のラリベラ王は、この音楽集団を集め、手厚く保護したと伝えられている。

ラリベロッチは、この流浪の音楽活動を止めたら、必ずやハンセン病に冒されるという言い伝えを強く信じている。ラリベロッチによれば、その言い伝えは、彼らが祖先だと信じるゲブレキルストスの伝説に由来するらしい。

その昔ゲブレキルストスいう名の青年がいた。生涯結婚せず、神への忠誠のもと宗教家として生きていこう決心した矢先、両親はある女性との結婚を彼に強制しようとする。困りはてたゲブレキルストスは結婚式の当日逃げだしてしまう。しかし裕福な両親は多くの使いを派遣し、必死で彼を連れ戻そうとした。

追われていることを知り、ゲブレキルストスは神に懇願する、自分のs皮膚を裏返し、追っ手たちの目をくらますようにしてくれ、と。すると、彼の手足はたちまちただれ始め、みるみるうちにその人物が、ゲブレキルストスだと誰もわからないほどになってしまった。

8年の歳月が流れ、ゲブレキルストスは両親の家に戻るが、両親にはその男が自分たちの息子だとはわからなかった。それでもひどいハンセン病にかかった男の風貌を哀れに思った母親は、家の近くの小屋に彼を住まわせ毎日残り物を与えた。ある夜、ゲブレキルストスは天使達に誘われ、天国へ召される。

両親は小屋に落ちていた紙片をみつけ、そこに書かれメッセージから、その男がゲブレキルストスだったと気付き、嘆き悲しむ。彼の神への純真な信仰心に満ちた半生を讃え、施しをうけることのみで生きた姿にならい、子孫達は物乞いを実践して生きていくことを神に誓ったという(註2)

(註2)ゲブレキルストスの伝説は言語学者Mesfin Mesele氏(アジスアベバ大学)の教授による。
(管理者註)エチオピアの人びとのあいだには現在に至るまで、この病気に対する根強い差別意識があります。

ラリベロッチの合唱は、わずか二人の男女によるものながら、全てをつつみこんでしまうような壮大なスケールを持つ。 初めてわたしが彼らの合唱を聞いたのは旧都ゴンダールであった。どこか憂愁をおびたふたつの声のハーモニーに、悠久の時の流れの重みを感じ、軽いめまいがしたのを覚えている。


ゴンダール