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音楽職能民
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アズマリ アズマリはアムハラ地方に限らず、エチオピアを代表する伝統音楽の担い手として人々に親しまれている。彼らは、町の酒場、結婚式の会場など祝祭の空間であればどこにでも、単弦楽器のマシンコを携えて現れ、シンプルなメロディにのせた即興の歌でたちまち聴衆を笑いの渦に巻き込んでゆく。時の政権から、紛争、HIV、男女の恋、アズマリの手にかかるとどんな深刻な話題もおもしろおかしいものになってしまう。 演奏を聴く側も演奏者に頻繁に言葉を投げかける。アズマリは一字一句忠実に、それらの言葉を歌に乗せていく。しかしこちらもそう迂闊に楽しんではいられない。なぜなら時としてその場に居合わせたものも、アズマリの巧みな即興詞のなかで揶揄、嘲笑の対象となってしまうからだ。 アズマリは18世紀から19世紀半ば、ザマナ・マサフントと呼ばれるアビシニア戦乱の時代、地方の封建諸侯たちが乱立し領地争いを繰り広げた時代に、王侯貴族の保護のもとに繁栄を極めたといわれる。彼らは貴族達の長旅に召使いとして参加し、食事のあとや野営の晩のひとときに主を楽しませ、厳しい旅の疲れをねぎらった。彼らはしばしば戦場にマシンコを携えて現れ、兵士達の志気を高めるために歌ったとも語り継がれている。また中央のニュースをわかりやすい歌で地方に伝え歩く広報係の役もこなした。 従来アズマリは、王家の系譜を辿り、歌の中で王のことを褒め称え、時には辛辣な言葉でその行政を批判したりするなどの役割も担ってきた。1931年にゴッジャムを訪れた人類学者のグリオールは、州の統治官ラス・ハイルのパーティーに招かれたアズマリが、ラス・ハイルの面前で彼やその息子達の無能さを徹底的にこきおろし、揶揄の言葉がその隣にいたグリオール本人にまで及んだことを報告している。 風刺に満ちた即興詞は今も昔も変わらぬアズマリの特徴であるといえるが、“蝋(ロウ)と金”とよばれる暗喩による彼らの詞の表現方法も特筆すべきであろう。蝋は詞の表層的な意味を表し、その蝋が次第に溶けていき、歌のかくれた本意、すなわち“金”の部分が徐々に現れ出てくるというのである。 “蝋と金”は歌の真意をぼやかし、遠回しに対象の人物を攻撃するのに有効な暗喩技法といえよう。この技法を用いて、色とりどりの即興詞を紡ぎだし、アクロバティックにストーリーを展開させていくことのできるアズマリは、今ではめっきり減ったと嘆くエチオピア人は多い。 18〜19世紀のヨーロッパ人による旅行記にもしばしば、“放浪の”“さまよい歩く”吟遊詩人、と紹介されるアズマリだが、近年アジスアベバのカサンチスと呼ばれる地区では、地方から出稼ぎにやってきて、バーの専属歌手として働くアズマリが増えている。それらのバーは“アズマリベット”と呼ばれ、毎晩多くの人々で賑わう。 カサンチスでも一,二を争う人気アズマリベット、“ファンディカ”の花形、メラクはゴンダール出身の30歳。アズマリの家庭の生まれで、かつては放浪のミュージシャンとしての日々を送った。現在は昼間コンピューターの専門学校に通い、夜10時に店に出勤する。最近カサンチスに増えてきた外国人ツーリストを喜ばせるために、英語の勉強も怠らない。エチオピアで職業音楽家につきまとう、“無教養のならず者”というイメージを自ら打破していきたいと語る姿が印象的であった。
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