2008年07月09日

アフリカを好きになるには [コメンタリー]

「私は、アフリカが嫌いなんです。」と、その人は話し始めました。退職前は某有名企業で労務を担当していたという彼は、仕事でアフリカ諸国を訪れることもあったそうです。とりわけ彼が我慢ならなかったのは、ナイジェリアでした。

この国に到着してすぐ、空港の入管職員から賄賂を要求された彼は、なぜ自分がこんな連中を相手にしなければならないのかと、何度も自問自答したのでしょう。「私はどうしたらアフリカを好きになれますか?」というのが彼の質問でした。

アフリカ学会という、アフリカが好きな人たちがあつまる学会があります。今年は京都で全国大会が開催されました。アフリカが嫌いだというその人は、どうしたらアフリカを好きになれるか尋ねるために、アフリカ学会へと足を運び、学会主催のシンポジウムの会場で、その質問を投げかけたという訳です。ぼくの見解を言わせてもらえば、ナイジェリアの入管職員の行動よりも、わが国の昭和ヒトケタ生まれの男性が時おり発揮するやや見当違いの行動力のほうが信じ難いのですが、それはさておき「どうすればアフリカを好きになれるか」という質問そのものは、われわれの想像力をかきたてずにはいません。

アフリカでは、何事も規則どおりに進まないことが多い。それは確かです。いくらアフリカが好きだといっても、規則を守らないアフリカの公務員のせいで、ひどい目にあうことはあります。ただ規則どおりに進まないということは、交渉の余地があるということでもあります。

ちょっと無理めの要求でも、自分がなぜそれを必要としているかを、きちんと相手に伝えることができれば、相手は納得してくれるということがある。逆に無理な要求をされたとき、なぜその要求が無理かをきちんと言えなければ、相手は納得してくれないでしょう。アフリカでは、規則がどうかということよりも、その場で相手を納得させることが重要であることが多いようです。

なんて面倒なと思う人もいるでしょうが、それがアフリカの良いところでもあります。ぼくの友人は、調査に必要な機材をエチオピアに持ち込もうとして、空港の税関職員に「規則で持ち込めない」と言われたそうですが、その機材がないと調査そのものが台無しになって、彼にとって非常に残念なことになるのだということを10分間ほど力説したところ、持込を許可されたそうです。

そもそもすべて規則どおりに進むのがよいのかと言えば、規則どおりに進まないほうが良いこともある、ということをわれわれは知っています。例えば日本の公務員が規則を「杓子定規に考えすぎるのは良くない」ということが言わる。1995年1月17日に神戸でおきた震災のとき、スイスから派遣された災害救助犬に対して、農水省の検疫担当官が規則どおり隔離を命じたために、救助犬の活動が遅れるという事態がありました。災害救助犬が救うはずの人たち(がれきの下で救助を待っている人たち)はどうなるのか、という抗議は受け入れられなかったのです。

もちろん、この検疫担当官(および農水省)が間違った決定をしたという訳ではありません。また1995年の当時、災害救助犬の役割は日本ではほとんど知られていなかったし、その犬を素通りさせることで起こりうる長期的な検疫上のリスクと、目の前にある救助活動にその犬を参加させることの利益と、どちらが大きいかを判断するような材料を、彼らは何も持ち合わせていなかったでしょう。判断が難しい状況で、とりあえず規則を守るのが良いと考えるか、とりあえずその場で交渉に応じたほうが良いと考えるかは、結局のところ価値観の問題なのです。

つまり、こういうことです。この記事を読んだあとで、なお「検疫担当官は常に規則を守るべきだし、それが良いことなのだ」と考える人は、規則そのものの価値を信奉する人であり、したがってアフリカを好きになる可能性は全くないと断言できます。逆に「検疫担当官には気の毒だが、規則よりも交渉のほうが良い結果が得られることもある」と思う人がいたら、それは交渉の価値を信じている証拠であり、アフリカを好きになる可能性があります。

ついでに言っておけば、アフリカを好きになるために、ナイジェリアの入管職員を好きになる必要はありません。重要なのは、そこを通り抜けた先に広がっている世界を見ようとするかどうかだと思います。

nishi makoto

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