2008年06月09日

リトル・ミス・サンシャイン [映画]

人は見た目が9割』なのだそうです。人を見かけで判断してはいけない、とお説教しながら、見かけでしか人を判断しない人の不誠実さには、確かにうんざりさせられます。それに比べたら、見かけが9割だと言ってしまうほうが「誠実」だとすら思えます。つまり、ほんとうのことを率直に述べているということです。

ただしこの「誠実さ」は、最も不誠実な態度に比べたら誠実なように「見える」という話、まさに見せかけの話でしかありません。感じの良い人だと思っていたら、じつはとんでもない不誠実な人間だったという経験は(その「不誠実な人間」の役割を演じていた経験も含めて)、おそらく誰にでもあるでしょう。見かけについて語ることは、決して誠実さに関することではないのです。

誠実さうんぬんはともかく、また見かけに騙される人のことはともかく、見かけが損得を決するのだから、じぶんのためにせっせと見かけを磨くのだという人もいるでしょう。せっせと見かけを磨くことは、人をどれくらい幸福にするのでしょうか?

毎朝、鏡に向かって「とびきりの笑顔」の練習をしてから出かけるとか、歯並びの矯正は必ずするとか、喫煙しないとか、抗うつ剤を欠かさず服用するとか、加齢臭を気にするとか、感じの良い人になるためできることは、たくさんあります。

映画「リトル・ミス・サンシャイン」のオリーヴは、美少女コンテストに優勝するという考えに夢中になっています。ただ問題は、ミスコンに適しているとは思えない、彼女のぽっこりお腹です。10歳そこそこだから幼児体型も仕方ないのでは…と思う人もいるでしょうが、それは既に負け組の思考を体現しているということに、注意すべきです。ミスコンの出場者は、「自分磨き」の集大成としてその姿をさらすのだということを、オリーヴは理解しているのでしょうか?

さらに問題なのはオリーヴの家族、例えば喫煙をやめられない母、ヘロイン中毒で老人ホームを追い出された祖父、思いを寄せていた彼に捨てられて自殺未遂を起こした伯父といった人たちです。

この家族にあって父は、勝ち組への強い意志をあらわにしており、ビューティ・クイーンになりたいなら目の前にあるアイスクリームを我慢するように、と娘に迫ります。ところが彼の意思とは裏腹に、彼の言動と行動は、家族の解体を促進しているとしか見えません。

またオリーヴの兄は、そんな家族を嫌っています。なぜみんな、じぶんたちが負け組だと認められないのか、彼にはそれが許せないのです。ただし彼も、その態度とは裏腹に、誰よりも強く成功を切望しているのです。

あらゆる矛盾と問題を抱えた家族が一台のバスに乗って、カリフォルニアで開催される美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」の会場を目指すのですが、安易な解決を求める観客の期待を裏切って、事態は悪化の一途をたどります。そして最悪の事態を迎えようとするときに、家族はある答えを見いだすのです。

せっせと見かけを磨くこと、感じの良い人になろうと努力することが人を幸福にしないように思われるときに、どんな選択肢があるのでしょうか?すべてを犠牲にして勝ち組への道を突き進むこと、すべてを投げだして負けを認めること、どちらも答えではないのだ、というのがこの映画の答えであるように思われます。

リトル・ミス・サンシャイン
http://movies.foxjapan.com/lms/

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