2008年03月02日

せいくんとねこ [ほん]

「おや、さかなが あるぞ。おいしそうだな。たべちゃおうっと。」「あっ ねこ、さかなを ねらっちゃ だめ。この さかな、ぼくが たべるんだから。」――せいくんという男の子の家の台所におかれた一匹の魚を食べるのは、ねこかせいくんか。この問題をめぐって、せいくんとねこのあいだに奇妙な対話が始まります。

ねこによれば、問題はその魚を誰が所有しているかと言うことではなく、その魚が(ねこに食べられることによって)ねこになるべきか、それとも(せいくんに食べられることによって)せいくんになるべきかということです。そのような前提を述べた上でねこは、魚にとって幸せなのは、圧倒的に猫になることだと主張します。

seikunto_neko.jpgせいくんは、ねこの奇妙な前提をいちおう受け入れるのですが、せいくんになった魚も同じように幸せになる可能性があると言い返します。せいくんは夜になると、魚になって海を泳ぐことができるし、しかもその痕跡は、いま庭先に干してあるふとんに残されているというのです。

…ところで、どうしてこんな会話が始まってしまったのでしょうか。せいくんにとっては、魚はそもそもせいくんのものだし、ねこにとっては、魚が誰のものかなんていうことは始めから関心がありません。ねこは、すきを見て魚をくわえて持ち去ることだってできたはずだし、せいくんは、ねこが侵入する前に台所の窓を閉めてしまうことだってできたはずです。

ふつうに考えれば、決して対話のはじまりそうにないセッティングで、せいくんとねこは、それぞれ語り始めます。奇妙な会話ですが、決して無意味な会話ではない、というところに注目すべきでしょう。

無意味な会話と言うのは、互いにじぶんにとってだけ意味をなす内容を、相手にぶつけあうこと、例えば俺が魚を所有するのだと、猫に向かって主張するような会話のことです。ねこはきっと、自分のほうがすばやく魚に食いつけるのだと言い返すでしょう。

合理的だけれども無意味な対話にかけるのか、奇妙だけれども意味のある対話にかけるのか。せいくんとねこは、一匹の魚を目の前にして、お互いに意味のある対話の前提をつくりだすことに成功し、そしてお互いにとって幸福な解決策を見いだすのです。

なお「せいくんとねこ」は、フレーベル館から出版されている絵本で、文章を矢崎節夫(金子みすゞを再発見したことでも知られる絵本作家です)が書き、長新太が絵を描いています。

nishi makoto

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