2007年11月15日

品格の時代 [コメンタリー]

電車のなかで、気の弱そうな若者がおじさんに絡まれていました。「きみ、ひとにぶつかったらちゃんと謝ろうな」。どうやら体があたったのが気に入らなかったようです。おじさんは、ひとくさり説教する気になったらしく、何やかやと文句をつけた挙句に、「品格の時代ですから、品格のある若者になってください」と言って電車を降りてゆきました。

ちょっと体があたったくらいでそこまで絡むのが品格なのかどうかはわかりませんが、それはさておき「品格の時代ですから」というのはなかなかの名言であると思いました。そういえば『女性の品格』という本が売れているそうです。読者は女性なのかと思っていたら、先日などは如何にもまじめそうな若い男が、電車の中で食い入るようにこの本を読んでいました。

ぼくはこの本を読んだことはありませんが、品格のある女性になるためには、街で配っている無料のティッシュを受け取ってはいけない、というようなことが書いてあるそうです。なぜこんなどうでも良いことが「品格」なのかと思う人もいるでしょうが、そもそもどうでも良いことにこだわるのが品格なるものの本質であることを考えれば、ティッシュを受け取るかどうかは、まさに品格ある女性にとって本質的な問題なのでしょう。

そう言った上で、何が品格にあたるかということを語ることそのものは、決して悪いことではないと思います。『女性の品格』という本が出版され、多くの女性がその本を読むことも、まあ悪いことだとは思いません。結局のところ彼女らは、この本にしたがって品格ある行動をとるか、それともしたがわないかを、みずから選択することができるからです。品格ある女性の人生は、それなりに豊かなものになり得るでしょうし、品格のない女性の人生も、やはり同じように豊かなものになり得ます。

まあじっさいには、品格ということばには、もう少したちの悪い押し付けがましさがあって、どこかでこの本を読みかじった男に、「品格のある女性は無料のティッシュなんて受け取らないんだよ」なんて説教されて頭に来ている女性も、きっといるでしょう。

それでも、この本が女性にとってそんなに悪いものだと、ぼくは思わないのです。なぜなら「品格のある女性になりなさい」という説教に対しても、女性はやはり選択肢を持っている。相手との関係に応じて、とりあえず説教に従うか、きびしく抗議するか、てきとうに無視するか、少なくとも三つの選択肢があるのです(たとえば一番目の選択肢は父親、二番目は彼氏、三番目はその他のすべての男性に対して、とりうる選択肢だと思われます)。

ぼくがこの本を恐れるのは、それとは別の理由があります。ぼくが気になっているのは、電車の中でこの本を読んでいた、若いまじめそうな男のことです。もし彼が『女性の品格』に書かれていることをすべて鵜呑みにして、「ぼくが結婚する女性はここに書いてあるとおりの女性だ」と思い込んだりしたら、そして初めてのデートで、「品格のある女性は無料のティッシュなんて受け取らないんだよ」とか、相手の行動にいろいろといちゃもんをつけるようになったら、きっと二回目のデートはないでしょう。

じぶんの品格に関することは選択できますが、他人の品格は、ほんらい選択できないものです。彼は品格ある女性を選択しているつもりで、単に押し付けがましい男になってしまう。彼は決して「押し付けがましさ」を選択したつもりではないはずなのに、そうなってしまうのです。そしてそれは決して、彼の人生を豊かにしない。それがぼくは心配なのです。

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