2007年10月17日

イブラヒムおじさんとコーランの花たち [映画]

1960年代、パリの裏通りで暮らす少年モモは、向かいの食料品店で万引きをする癖がありました。その食料品店を営むトルコ移民の老人イブラヒムは、そのことに気づいています。意外なことに彼は、「盗みを続けるならうちの店でやってくれ」とモモに言います。

商人がそんなことを言うなんてあり得ない、と誰でも思いますが、この人ならそう言うのかもしれないと思わせるところが、イブラヒムを演じるオマー・シャリフの非凡さなのでしょう。「盗みを続けるならうちの店で」と言ったイブラヒムおじさんが、単にモモの不幸な境遇を哀れんでいるのではないとすれば、彼はなぜ、そんなことを言ったのでしょうか?

イブラヒムおじさんはまた、失恋して落ち込むモモに対して、何も悲しむことはない、君の愛は変わらないのだから、と言います。「君が与えたものは、永遠に君のものだ」。このことばを真に受けるとして、じぶんが与えたものが永遠にじぶんのものであるということは、どういうことなのでしょうか?

誰かに与えたものが、いずれ(まわりまわって)じぶんのところに返ってくるということはありそうです。でもモモがそれまでの人生で失ってきたものは、どちらかといえば掛け替えのないものばかりであって、「いずれ返ってくるよ」という慰めがモモの心に響くとは思えません。

イブラヒムおじさんはむしろ、決して返ってこないものだからこそ、それは「永遠に君のもの」なのだと言ったのでしょう。例えば、ずっと昔に他界した妻に対する彼の愛が、そうなのでしょう。

もちろん若いモモは、そのことをすぐに理解できたわけではありません。彼にとって問題は、じぶんが求めるものが与えられておらず、与えようとしたものを受け取る人がいないことだったからです。しかしモモは、イブラヒムおじさんの死に立ち会ったあと、彼が「盗みを続けるならうちの店で」と言ったわけ、そして「君が与えたものは、永遠に君のものだ」ということばの意味するところを、すべて受け入れることができたのです。

なお「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」の公式サイトによれば、原作と脚本を書いたエリック=エマニュエル・シュミットは、哲学博士を取得したのちに劇作家、小説家となった人物なのだそうです。この映画の原作は、仏教を扱った『ミラレパ』、キリスト教を題材にした『神様とお話しした12通の手紙』と共に、宗教・信仰・文化をテーマにした「目に見えないものの3部作」の形体をなしているということです。

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