2007年06月04日

約束の旅路 [映画]

ひとはどんな過酷な運命に遭遇しても、少数の善良な人びとの支えがあれば、充実した人生を生きることができる。・・・それがこの映画のメッセージです。

ツォツィ』とは対照的に、文部科学省特選作品に選ばれたこの作品には、素直に感動できないという人もいるかも知れません。善良な人びとに囲まれていれば、人生がうまく行くのはあたりまえではないかと言われたら、まったくその通りです。

むしろ善良さを期待できないところで、人間がどのように生きられるかを追求する方が、文学上のテーマとしては高級な感じがする。そんな風に思う人もいるでしょう。

それはその通りなのですが、もっと「高級」なテーマを見せて欲しいんだと言ってだだをこねる観客は、結局のところ、他人の「善良さ」など気にせずに暮らしてゆける幸福な人、あるいは「善良さ」を気にせずに暮らしていけると思い込んで生きてゆける幸運な人なのだという気もします。

年金記録問題をはじめ、いろいろな制度上のほころびが見えているとはいえ、日本の社会は、少なくともマジョリティを占める人びとにとっては、「善良さ」以上のものを提供してくれるところです。

社会とはそのようなものだと信じている人にとって(ぼくじしんもそのように考えがちですが)、『約束の旅路』の主人公である少年シュロモ(映画の途中から青年シュロモになります)のような経験、つまり故郷から遠く離れ、じぶんのなまえも、家族のなまえも偽って生きてゆかねばならないという経験は、にわかには理解しがたいものなのかも知れません。

「善良さ」は、文学上の重要なテーマではないかも知れず、また社会にとっての解決策でもないというのは確かですが、問題はその「善良さ」によって、辛うじて社会につなぎ止められている、シュロモの在り方なのです。

ところでこの映画は、1985年の「モーゼ作戦」でイスラエルに移住したエチオピア系ユダヤ人を描いたものですが、何かとエチオピアへの思い入れが強いぼくの目から見て、ちょっと違和感を感じるところが、ないわけではありません。たとえば、「エチオピア人は夜空の月に向かって祈ったりしないだろう」とか・・・。

しかし他方で、フランスで制作された映画なのに、台詞の約1/3がアムハラ語(エチオピアで話されている言語のひとつ)という思い切った台本はすばらしく、字幕ではなかなか伝わらないような、アムハラ語の美しい表現も随所に見られます。

またシュロモの故郷に対する思いや、どこに向けて良いかわからない怒りといった感情は、非常な切実さをもって描かれているように思いますが、それはこの映画の監督じしんが、移民としての経験を持っているからなのでしょうか。

約束の旅路
http://yakusoku.cinemacafe.net/

nishi makoto

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コメント

字幕では伝わらないアマリニャの美しい表現、今度教えてください。私は、イスラエルママとシュロモが「あーお」を息を吸いながらエチオピア風にする個所がとっても好きです。エチオピアを知らない人には伝わらないかもしれないけど、エチオピアファンにとっては、とても微笑ましいシーンだと思います。

投稿者 pon mama : 2007年06月08日 09:42

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