2007年02月05日

ダーウィンの悪夢 [映画]

タンザニアのビクトリア湖畔に、ムワンザという町があります。この小さな町が、アフリカ各地の紛争で使われる武器交易の拠点になっているのではないか? 『ダーウィンの悪夢』を監督したフーベルト・ザウパーはそう疑っています。

ただ残念なことに彼も、彼がインタビューしたムワンザの市民や娼婦たちも、そして現地のジャーナリストも、決定的な証拠を示してはいません。じつはこのドキュメンタリー映画では、何か注意深く隠されている悪事を「暴きだす」ような場面はひとつもありません。むしろビクトリア湖で魚を獲る漁師や、それを工場で解体する労働者、そしてムワンザの町のストリート・チルドレンや娼婦といった人々の日常を、細切れに追っているだけです。監督じしんが認めているように、この映画では、わたしたちが「既に知っている」はずのことしか、描いていません。

にもかかわらず、その映像が「衝撃的」なものに見えるとすれば、その原因は映像にあるのではなく、観客の認識にあります。つまり多くの人々が、ビクトリア湖の環境について、あるいはグローバル経済がムワンザの住民に与えてきた影響について、楽観的すぎる認識を持ってきたということです。

たとえばビクトリア湖で急速に進行する環境破壊を憂慮する専門家は、湖に生息する魚が減ることで、ビクトリア湖の漁師たちが将来、飢える恐れがある、と主張します。

しかし漁師の日常をみると、この主張ですら「楽観的すぎる」ということが、すぐに理解できます。エイズで死んでいく仲間たちをじゅうぶんに見てきた漁師にとって、死は「将来の恐れ」ではなく、現在の問題であるからです。ウイルスの増殖を抑える薬さえ手に入れば、エイズはもはや「死の病」ではないのですが、ビクトリア湖畔では、多くの人がこの病気で命を落とします。

またムワンザの町では布教活動中の男が、キリストの奇跡について語ります。ゲネサレト湖(ガラリヤ湖)の漁師シモン・ペトロの網に、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになったという奇跡です。

この奇跡に、ビクトリア湖畔の住民たちも驚嘆するでしょうか? しかしグローバル経済の時代にあっては、ビクトリア湖の魚は直ちに工場で三枚におろされ、身の部分はおもにヨーロッパと日本の消費者に届けられます。湖畔で暮らす人々は、残された頭や中骨に付着した身をせせるのです。

誤解の無いように言っておくと、せっかく獲れた魚を余さずに食べることは、もちろん美徳であって、悪いことではありません。そうではなくて問題は、ビクトリア湖の漁師や、ムワンザの住民たちが、ペトロと同じように「網が破れるほどの魚」を望んでいるのかということです。

この映画でもっとも印象的な登場人物であるラファエル(現地の漁業研究所の夜警)は、「戦争があれば金になるのに……皆、戦争を望んでるはずさ」と語ります。ムワンザは、武器の中継地であるかも知れないし、そうでないかも知れない。いずれにしてもラファエルにとっては、戦争の悪い夢だけが、彼の救世主であるように思われるのです。

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