2006年12月22日

抱きしめてあげるだけで [コメンタリー]

子供の頃に、学校や家で、なんだかよくわからない理由で叱られて、泣いたりふてくされた記憶のひとつやふたつは、誰にでもあると思います。たとえ短い時間でも、なぜ責められているのか理解できないまま責められるのは、つらいことです。

まして子供の頃に、いつも理由もわからず殴られたり、憎まれていると感じたり、食事を与えられずに育つことは、どれほどの痛みかと考えます。

公共広告機構(AC)というのがあります。「広告を営利目的ではなく、公共のために役立てようと」している団体で、最近では「はっけよいエコライフ」というテレビCMを提供しています。

この団体が提供した過去のCMのなかで、とくに反響が多かったのが、児童虐待をテーマにした作品「抱きしめる、という会話。」なのだそうです。子供とどう接して良いのかわからない若い母親に対して、「まず抱きしめてあげて」と呼びかける内容です(あとで「父親編」も制作されています)。

抱きしめるだけでいいんだ、というメッセージは非常にわかりやすく、そして力強いものです。

ただ、次のようにも思います。母親(父親)が我が子を「抱きしめてあげられるかどうか」が問題の本質なのか。あるいはそうではなくて、「今は抱きしめてあげられるけど、次の瞬間には殴ってしまうかもしれない」という不安であったり、「今は抱きしめてくれているけど、次の瞬間には殴られるかもしれない」という恐怖が、虐待のすがたなのか。

いずれにしても、「抱きしめてあげるだけでいいんだ」というメッセージは、多くの人たちを安心させるという意味で、確かに「公共のために」役立っているとは言えるでしょう。

母親が我が子を「抱きしめてあげるだけで」児童虐待がなくなるなら、児童虐待の問題はすぐにも解決するように思えてくるからです。また、もし問題が解決しなくても、それは単に我が子を抱きしめてあげない母親の責任なのだと言えるからです。

誤解のないように言っておくと、「虐待は母親が悪いのではなく、社会が悪いのだ」と言いたいのではありません。虐待する母親は、その定義上、悪い母親であることは明白です。しかし虐待する母親が悪いと言おうが、鬼だと責めようが、虐待の問題は解決しないように思われます。

言いたかったのは、「もともと幸福な多数の人たち」が、そのメッセージに感動することと、そのメッセージがじっさいに苦しんでいる人たちへの理解をうながしたり、その苦しみを取り除くこととは、まったく別のことであるかも知れないということです。

nishi makoto

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コメント

うんうん。オレもあのCFは気になってた。
主観的には軽い感動を得て、でも客観的には指摘しているように「虐待している人がみてブレーキになるか?」と思ったよね。

でも、後者の具体的な戦術が、専門外で思いつかないので、思考がそこで停止してしまってたよ。

投稿者 ハセイチロー : 2006年12月22日 16:07

そう、公共広告機構の広告はいつも微妙だと思うんですよね。

児童相談所がちゃんと機能するように予算をつけるとか、問題を解決する方法は他にあると思います。

投稿者 nishi makoto : 2006年12月23日 15:23

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