2006年09月04日
その願いがかなわなくても [日常のできごと]
それがささやかな思いであれ、大きな野望であれ、強く願いさえすればかなうのだと言い聞かせることは、どちらかといえば無責任な気休めなのだと思います。
私たちの願いは多くの場合、誰かがそれを認めてくれたり、受け入れてくれることなしに成就し得ないものであって、つまりそれは究極的には、自分の努力とか、能力とかで解決することができない問題だからです。
恋愛の経験などは、恐らくその最たるものでしょう。…もう少しのあいだ、この人と一緒に居れたらどれほど楽しいだろう、毎週末をこの人と過ごせたら、どれほど充実した日々を送れるだろう、この人と一緒に暮らせたら、どれほどすばらしい人生になるだろう。
このような思いは、基本的には自分の心の中に形成されるものであって、その限りでは、相手がその気持ちを受け入れてくれるという保証はありません。いや、相手がその気持ちを受け入れてくれて、すべてがうまく行っているように思われる時ですら、些細な出来事から、理解しあえたように思えたのは、幻想に過ぎなかったのだと落胆した経験は、誰にもあるでしょう。
ましてその気持ちが、冷たく拒絶されたときの空しさは言うまでもないし、仮に相手が不誠実であれば、怒りを覚えることもあるはずです。
それほど恋愛は、リスクに満ちたものですが、だからといって誰かと一緒に築いてゆく人生について考えることは、結局は幻想に過ぎないとか、少なくともその気持ちが受け入れられなければ、すべてが空しくなると考えるべきではありません。
すべての恋愛は良いものだとはいいませんが、もしそこに、他人の支えなしには生き抜くことができないのだという深い経験があったのであれば、これからの人生にとって重要なのは、その経験なのであって、仮に願いがかなわなかったとしても、やはりその経験は大切なものなのだと言えるような気がします。
nishi makoto
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コメント
そんな気持ちになったあなたには、柄にもなくマザー・テレサの祈りの言葉(石川康輔訳)を贈りましょう。
主よ、私が空腹を覚えるとき
パンを分ける相手に出会わせてください
のどが渇くとき
飲み物を分ける相手に出会えますように
寒さを感じるとき
暖めてあげる相手に出会わせてください
理解してもらいたいとき
理解してあげる相手に出会えますように
かまってもらいたいとき
かまってあげる相手に出会わせてください
私が自分のことしか頭にないとき
私の関心が他人にも向きますように
空腹と貧困の中に生き
そして死んでいく世の兄弟姉妹に
奉仕するに値する者となれますように
主よ、私をお助けください
投稿者 ゴゴ : 2006年09月05日 18:11
