2006年08月15日
松代大本営 [リポート]
長野市の松代は川中島の古戦場に近く、江戸時代の武家屋敷が観光名所となっているような静かな町です。今年の夏の高校野球で長野代表として出場した、松代高校の所在地でもあります。その町の佇まいからは想像もつきませんが、ここには「松代大本営」として建設が進められた、大規模な地下壕が残されています。
これは第二次世界大戦の末期に、本土決戦を予期した軍部が、海から離れた松代に大本営を移して米軍への抗戦を続けようと、密かに計画したものです。もちろん現実には、その施設が完成するまえに終戦を迎えたため、実際に使用されることはありませんでした。
このときに建設された地下壕の一部は、長野電鉄の松代駅から南へ、古い街並みを通り抜けた山麓に位置しており、地元では象山地下壕と呼ばれているようです。ここには政府機関のほか、日本放送協会などが東京から移転してくる予定だったそうです。
象山地下壕の総延長は5,853メートルもあり、そのうち500メートルは一般の訪問者も入坑できます。壕の入り口で工事用のヘルメットを受け取り、岩盤がむきだしのトンネルのなかを進んでゆきます。終戦から60年を経ているとはいえ、坑内には当時のノミ跡も生々しく残っており、そこを歩いていると誰かに見られているような気がして、200メートルほど進んだところで引き返してしまいました。
入口まで戻り、改めて案内板を見れば、多くの地元民や朝鮮半島の出身者が強制的に労働させられたとの記述があります。ちなみにウィキペディアの記事には、強制労働の事実を疑問視し、作業を行った朝鮮人に相当数の「自主渡航者」が含まれていた旨の、修正主義的な記述があります。「自主」というのは便利なことばですが、抑圧的な歴史の性質そのものにまで修正を加える力は、ないように思います。
ところで象山地下壕の入り口がある山麓には、小さな稲荷神社があり、その裏には小さな祠とともに、「狐の穴」と立て札の掲げられた小さな穴がありました。しかしその由来については、どこにも説明がありませんでした。
松代大本営の保存をすすめる会
http://homepage3.nifty.com/kibonoie/
nishi makoto
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