2006年06月17日

ブリジット・ジョーンズの日記 [映画]

独身女性の本音を描いて成功した物語だと聞いていましたが、もしその触れ込みどおりの映画であったなら、たいへん退屈な話になっていたでしょう。

われわれの日常生活において、誰かが「本音で話そう」とか言い始めたら、それは退屈な話が始まる前触れです。誰かの「本音」はコントのネタくらいにはなるでしょうが、物語を展開させる原動力になることはありません。たとえば「美女と野獣」の美女が、野獣への愛を打ち明けるそのときに「でもほんとは私、野獣なんかではなく王子様と結婚したいの」と本音を語ってしまったら、その場で物語が終わってしまいます。

それはそうと、ヒュー・グラントとの危険な恋を経由して、さいごには「ありのままの自分」を受け入れてくれる誠実な弁護士と結婚したいかと尋ねられたら、いやだと答える女性はあまりいないでしょう。

それは棚に飾られているフィギュアから抜け出してきたような美少女が、いつか彼の部屋のドアをノックしてくれるのをまっているアキバ系青年のメンタリティと、ちょっと似ているような気がします。もちろん違うという人もいるでしょうが、いずれにせよ、人間が何かの儚い理想を思い描くこと自体は、病的と言うよりもむしろ自然なことであるように思われます。

ただ、われわれの日常生活そのものは、もう少し暴力的なものであって、「ヒュー・グラントとの危険な恋」や「ありのままの自分を受け入れてくれる誠実な弁護士との結婚」を夢見ることは、彼女の人生における選択肢というよりも、むしろそれが彼女の問題なのだと見なされがちです。

というのも人生の選択肢は、たいていは「稼ぎはよいが家庭を顧みる時間のないサラリーマン」と結婚するか、あるいは「家事や育児はよく手伝うが稼ぎの少ない研究者」と結婚するかというかたちで現れるのであり、もっとも重要なのは「不誠実な男」だけは掴まない、ということだからです。

そのような日常を拒絶して、私が求めるのは危険な恋であり、欠点のない結婚相手なのだという理想を掲げるところに、ブリジット・ジョーンズの物語が成立しています。じっさいには彼女の「儚い理想」であるものを、それが彼女の「選択肢なのだ」と言いくるめることは、野獣が王子様なのだというくらい大きな嘘ですが、それをやって見せたところに、物語の魅力があると言うわけです。

nishi makoto

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jafore.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/133

コメント

この記事にコメントしてください



 (公開されません)


保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)