2006年04月23日

萌えいづるも枯るるも同じ野辺の花 [リポート]

今日は予報では雨のはずだったのに、思いのほか天気が良かったので、妻とふたりで嵐山へ散歩に出かけました。

電車をおりて歩き始めると、桜の季節も過ぎたせいか、さほど人も多くありません。しばらく歩き回って、公園でお昼を食べたあと、祇王寺というお寺に入ってみました。大覚寺の末寺だという小さな寺で、その門前には、大覚寺と併せて参拝すると、拝観料が合計八百円の所、六百円に値引きされるという掲示が、やたらに目につきます。

それはさておき、門をくぐると苔むした庭園に、もみじの新緑がきれいでした。寺のなまえの由来となった祇王は、『平家物語』に登場する、白拍子(しらびょうし)の女性のなまえだそうです。白拍子というのは当時、流行歌を歌ったり舞を舞ったりする芸能者のことを言ったようです。

おとぎ草子としても流布した祇王の物語は、おおむね次のような内容です。

白拍子の祇王は、平清盛公の寵愛を受けたが、やがて清盛は仏御前という、別の白拍子を気にかけるようになり、祇王は屋敷から追い出されてしまいました。

そのとき祇王が、住み慣れた屋敷の障子に書き残した歌が「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に逢はで果つべき」というものでした。これはつまり、祇王に代わって寵愛を受けることになった仏御前も、やがて清盛公に飽きられてしまうだろうという、呪詛ともとれる意味の歌です。

祇王はこのあと、いろいろ辛い目にあって、ついには出家してしまうのですが、仏御前もまた、祇王が書き残した歌を読むうちに自らの運命を悟り、祇王を追って出家します。祇王は出家した仏御前を受け入れ、ともに念仏を唱えて暮らしたところ、そろって極楽往生を遂げたと言うことです。

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2006年04月18日

三尸の虫と庚申講 [リポート]

人間の体内には三匹の虫がおり、彼がおかす罪科を、常に監視しているのだそうです。その虫は六十日にいちど、人間の体を抜け出して天帝のもとへゆき、その罪科を逐一報告するのだと言います。

これを三尸(さんし)の虫といい、ようすれば監視カメラのない時代に、権力者が民衆を「監視」するための装置であったのでしょう。三尸の虫が恐れられたのは、その報告を受けた天帝が、罰として人間の寿命を縮めてしまうためです。

ところでこの虫は、決まって庚申(かのえさる)の夜に、人間が寝静まったところで体を抜けだすのだと信じられていました。庚申というのは、干支と十干を組み合わせた暦のひとつです。そこで昔のひとたちは、庚申の日だけ寝ずに夜明かしすれば、虫が体を抜け出せないため、長生きすると考えました。

ただし、ひとりで夜明かしするのは辛いため、庚申の夜に村人が集まり、酒食をともにしながら夜明けを待ちました。これを「庚申待ち」と呼び、またその集まりは、庚申講(こうしんこう)と呼ばれました。一晩だけ眠気を我慢すれば、それに先んずる五十九日間の罪科が忘れ去られるというのは、いかにも民衆的な発想ですが、またそれを村人が示し合わせておこなうというのが、何とも良いです。

庚申講を三年続けると、記念に塔を建立するのが習わしだそうで、長野の松代(まつしろ)という町のはずれにある集落では、道ばたに並ぶ庚申塔がみられます。「松代文化財ボランティアの会」が執筆したガイドブックによれば、昭和55年にも多くの塔が建立されたとありますから、最近まで活動が続いているようです。

参考文献:松代文化財ボランティアの会編著『ボランティアガイドのすすめる松代見て歩き』

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