2005年12月13日

アフリカからの手紙 [コメンタリー]

「Mさんはアフリカの辺境の村から、彼女に手紙を書き続けました。彼女から返事がなくても、日記のつもりで書き続けた手紙は、気がつくと400通を超えていました」

かなりまえのことですが、アエラ(2005年6月20日号)の「私の失敗」と題されたページに掲載された話です。このあと彼女は、Mさんに会うためアフリカにやってきます。彼の思惑は、豪華なリゾートホテルでふたりの時間を過ごすこと。でも彼女は、はじめてのアフリカをあちこち見て回ることを望みます。すれ違いの挙げ句、ふたりは大げんかしてしまい、「こんなの旅じゃない」と言い残して日本に帰った彼女からは、連絡が途絶えてしまいました。

思うに、400通も手紙を書いたあげくに振られることほど、理不尽な状況はありません。電話のない村で、Mさんは手紙を書き続けることによってじぶんを支えたのです(村の住民と仲良く暮らす方法もあったと思いますが、彼は内気なタイプだったのでしょう)。ところが、いくつもの段ボール箱をうずめてゆく手紙の山が、結局のところ彼女には重荷だったのです。その重荷を背負い、はるばるアフリカまで大げんかをしにゆかねばならなかった彼女だって悲惨です。

他人から見れば、最初から結末がわかっている悲劇かも知れませんが、本人たちにとってはそうではありません。じぶんを責めても相手を責めても解決しないこの状況は、まさに「私の失敗」と呼ぶにふさわしい。

ところがアエラの趣旨は、ちょっと違うようです。「NPO法人失敗学会」の会員がでてきて、彼がなぜ失敗したかを分析してくれるらしい。

その学会員は、Mさんの「思いやりのなさ」を問題にします。というのも彼は、「日記のように」手紙を書き送るばかりで、彼女の相談にはうまく答えられなかったのです。じつは彼女からMさんに宛てた手紙に「会社を辞めようか悩んでいる」と書かれていたのですが、Mさんは一般的なアドバイスを書き連ね「もう少し続けてみろ」と返信したといいます。

このことについて学会員は、「女性が求めているのは、解決策やお説教よりも、むしろ理解や思いやりのことばではないでしょうか」と述べています。そして「手紙の出しすぎ」や「思いこみ」は必ず失敗するという失敗の法則を提示して記事を締めくくります。つまり対話が大切だと言いたいらしい。

それはそのとおりかも知れませんが、しかしそのアドバイスは、そのまま「失敗学会」にお返しするべきでしょう。つまり「相手に思いやりを」みたいなあとづけのお説教で、何かが解決すると思いこんでいるのは誰なのか、ということです。たんに「私たちの言うことを聞いていれば、あなたはもう失敗しない」と言いたいのであれば、それは対話と呼べるものではありませんし、いっそ失敗学会ではなく「ナポレオン・ヒル学会」とでもなのったほうが良いと思います。

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2005年12月07日

サンタが街にやってくる [コメンタリー]

松任谷(荒井)由実がつくった「『いちご白書』をもう一度」という曲があります。この曲について驚くべきは、三行目の「悲しい場面では涙ぐんでた」という歌詞です。小学生の作文のように、表現がそのままです。

どうせ、ばんばひろふみが歌うからと手を抜いたのでしょうか。しかし、パブロ・ネルーダが言っているように、詩はメタファーです。泣くときに「悲しい」と言ってしまったら、それはメタファーではありません。「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました」とか、それくらいのことは言わなければ、詩ではないのです。

ところが松任谷由実は、1980年代になるとマーケットを意識したキャッチーなテーマの作詞を手がけ、時代のトレンドリーダーと呼ばれます。要すればバブル期の日本において「詩はマーケットに敗北した」ということでしょうか。

そういえば「恋人はサンタクロース!背の高いサンタクロース!」という例のやけくそのような歌詞が、今年も街で聞かれる季節になりました。仮にじぶんの彼女が、近所の小さい女の子に「もうじき私のサンタさんが迎えにくるのよ」みたいな妄言を吹き込んでいたら、死んでしまいたくなります。ピチカート・ファイヴみたいに、「冬の日の曇り空を見上げると死にたくなる」のだったら詩的ですが、サンタさん呼ばわりされて死にたくなるのは詩ではありません。

もちろんこの歌詞は、メタフォリカルに解釈することもできます。つまり世界中のこどもたちにプレゼントを与えるサンタクロースを夢見るのではなくて、自分だけにプレゼントをくれる恋人を求めるようになることが、女として成長することなのだという暗喩なのです。ただし「女として成長する」とかいうのは安っぽい精神分析家の虚言であって、要するにどの男がプレゼントを調達すべきかというだけの話です。

いうまでもないことですが、サンタクロースはプレゼントの調達係などではありません。秋田に「なまはげ」がいるように、ドイツには「ブラックサンタ」がいて、悪い子の部屋には石炭が投げ込まれ、もっと悪い子の部屋には、豚の内臓がぶちまけられるらしい。よい子にはご褒美、というサンタクロースの思想は、権威に従わないものには恐ろしい罰があるという、たいへん重要なメッセージとともに語られるべきものなのです。

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2005年12月03日

Michelle ma belle [コメンタリー]

「その日、わたしが家に戻ると、ミッシェルは誰かに連れ去られていました。ベッドシーツには、おしっこの跡がありました。ミッシェルは犯人に追い回されて、おしっこを漏らすほどの恐怖を味わったのです。わたしはミッシェルのことを思い、妻と手をとりあって泣きました」

ミッシェルというのは、彼が飼っていたチワワのことです。テレビのワイドショーによれば、このところチワワの誘拐事件が連続して発生しているらしい。同じようにチワワを誘拐された女性は「こんなにつらい思いをするのは、わたしで終わりにして欲しい」と涙ながらに訴えていました。

残念ながら僕は、犬を鎖につなぎ残飯を与えてすませるような家庭に育ちました。チワワの失禁の跡を見て泣くなんて、僕には不可能です。それだけでなく、世の中には住むところがなくて寒い夜を過ごしている人もいるのに、犬がそんなに大切ですかと批判がましいことを言わずにはいられません。

しかし考えてみると、ホームレスで犬を飼っている人も多いので、僕の批判はあんまり的を射ていないかも知れません。たかがチワワと笑うのは簡単ですが、大切なのはむしろ、チワワを奪われた彼らの喪失感や悲しみについて、想像してみることなのかも知れません。

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