2005年08月03日

秋山郷 [リポート]

長野の秋山郷は、新潟や群馬との県境に近い急峻な渓谷の中にあり、焼畑や木工芸でも知られる山里です。1828年、越後の鈴木牧之という文人がこの郷を訪れ、「秋山紀行」をつづりました。

牧之は当時、江戸随一の流行作家であった十返舎一九と面識があったそうで、秋山郷の珍しい風俗を出版して「広く世間に笑いを提供しましょう」という一九の下世話な誘いに応じるために、この旅を思い立ちました。牧之にとっては苦労の多い旅だったとみえ、揺れる吊り橋を這うようにして渡り、粗末な掘建て小屋の暮らしに驚きます。

牧之にとって秋山の暮らしは、いわば文明から取り残されたものと映りましたが、掘建て小屋に寝泊りして詳細な聞き取りをおこなった彼は、秋山の人について「会ってみればその人柄は格別里の人に変わることはなかった」とも記しています。

さて僕も先日、秋山郷を訪れる機会に恵まれました。牧之が六泊七日かけて旅した行程は、現在では自動車で通りぬけることができます。彼が「仙人の世界に入ってゆくよう」な山道を歩いてたどりついた切明の温泉まで、国道405号線で数時間の道のりです。牧之の頃には、この温泉から先には山道もなく、「秋田のマタギ」たちが「道のない山」を駆け巡ったといいます。現在では切明の温泉も通り道に過ぎず、スキーや避暑で知られる志賀高原を経由して、長野市へと抜ける道路が開通しています。

秋山郷に通じる国道は、数十年前は冬になると積雪のために不通になることが多かったそうです。雪に降り込められた冬には、長野県のヘリコプターが出動して、食糧を投下したこともあったといいます。冬の食糧の確保は、秋山郷の人たちにとって簡単なことではなかったのでしょう。牧之の旅に43年先立つ天明の大飢饉の年には、飢えのために全滅した集落が幾つもあったそうで、当時の墓だけが立つ集落跡が今でも残されています。

僕たちはドライブの途中、「屋敷」という集落に立ち寄りました。ここで民宿を営むおばさんに、お茶と漬物をすすめてもらい、秋山郷を出て建築士の仕事をしながら画をかいている息子さんの話や、近ごろ盛んに畑を荒らすようになった猿の話などを聞かされました。「屋敷」には小さな小学校がありますが、中学校は閉鎖されてしまい、村の中学生たちはスクールバスで遠くの学校に通うのだそうです。近年では冬でも国道の除雪が続けられ、村が孤立することもなくなりました。

この民宿の窓からは、8月になってもきれいに咲いている紫陽花が見えます。涼しい気候と良い水のせいでしょうか。紫陽花があんまり鮮やかなので、写真が飾ってあるのかと思うお客さんがあるんですよ、と民宿のおばさんが自慢しました。

なお、この記事で引用した文は磯部定治による現代語訳『秋山紀行』によります。また秋山郷の観光はakiyamago.comに詳しい案内があります。

nishi makoto

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