2005年07月05日

自己責任について [コメンタリー]

すこしまえの話ですけど、イラクの人質事件のとき「自己責任」ということばが盛んに言われました。政治や経済を語るときだけでなく、日常生活でもよく使われるこのことばは、日本社会のなかでどんな風に生まれ育ってきたんでしょう。

へんな言いかたですが、テロリストは非常にねじれたかたちで愛とかヒューマニティみたいなものを信じていているのかも知れないと思います。例えば誰かの子どもを誘拐する犯人は、まさか親が「うちの子より金が大事だし」とは言わないと信じているだろうし、イラクのテロリストも、ある種類の「愛への信頼」をもって三人を誘拐したに違いありません。

これに対して日本政府と国民が、「自己責任」だから彼らの生命の問題はわれわれの問題ではないといったとき、パウエル国務長官が「え、違うでしょ」というような発言をしたのを覚えているひとも多いと思いますが、誘拐した当のテロリストも、かなり当惑したに違いありません。

なぜ日本では、自己責任という言いかたで、ヒューマニティへの挑戦に直面することを避けられるという考え方が受け入れられたのか。今どき、大文字のヒューマニティなど誰も信じていないにしても、自己責任ということばで生命の問題を却下できるのはなぜか。

「イラクには自衛隊を派遣することが日本の貢献なのであって、かってに渡航した人たちは自己責任」と主張する人がいるのは、(間違っているとは思いますが)まあ予想されることではあります。

むしろ興味ぶかかったのは、体制に反対する立場をとる人たちのなかに「国家に助けを求めるような生半可な覚悟でイラクに行くべからず。したがって自己責任」という意見が、少なからずあったように思われることです。

どおりで日本国中が自己責任で一致したわけですが、左右それぞれの思想がどのあたりで妙に一致していて、結果的に支配的な言説が生まれてきたのか、またそれが僕らの生活をどのように息苦しいものにしているか、ということを考えるにあたって、自己責任というのは無視できないことばだと思います。

nishi makoto

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jafore.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/94

コメント

この記事にコメントしてください



 (公開されません)


保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)