2004年12月04日

伝説のランナー [エチオピア]

先週の日曜日、四回目のGreat Ethiopian Runが開催されました。今年は二万人が参加して、アジスアベバ市内の一万メートルのコースを走りました。たくさんの市民がひとつのコースを走るこの催しには、連帯して貧困やエイズなどの困難に立ち向かおうというメッセージがこめられています。

アルシ生まれの友人は、四年前から欠かさずこの催しに参加しています。アルシは、優秀な長距離走者を輩出していることで知られる地方です。一万メートルで歴史的な業績を残したハイレ・ガブレセラセも、アルシの生まれです。Great Ethiopian Runの距離が一万メートルなのは偶然ではなく、オリンピックや世界陸上大会で常に先頭を走ってきたハイレに、われわれも続こうというわけです。アルシ生まれの僕の友人は、特に足が早いほうではありませんが、Great Ethiopian Runでは完走者全員にメダルが贈呈されるので、彼の家には四つのメダルが飾られています。

ことしのGreat Ethiopian Runのメイン・スポンサーは、TOYOTAでした。でも一万メートル走は、日本ではマイナーな競技のあつかいを受けているので、この催しのことはほとんど知られていないし、ハイレの名前を知る人も少ないでしょう。

日本で知られているエチオピア人走者といえば、たいていマラソン選手です。なかでも1964年の東京オリンピックの男子マラソンで優勝したアベベ・ビキラのことは、よく記憶されています。アジスアベバの日本大使公邸には、東京で表彰台に立つアベベの写真が飾られています。アベベは1960年のローマ・オリンピックに出場したとき、無名の選手でしたが、裸足で走る姿が注目をあつめ、そのうえ金メダルを獲得したことで人々を驚かせました。

1968年のメキシコ・オリンピックに出場したとき、アベベは既に伝説の走者でしたが、怪我のため途中棄権を余儀なくされました。このとき、アベベの代わりに金メダルをとったのが、マモ・ウォルデです。寡黙なアベベと違って、話が上手く人を笑わせるのが得意だったマモは、エチオピアの人たちのあいだで、よく記憶されています。

例のアルシ生まれの友人が、マモにまつわる伝説を話してくれました。敬虔なエチオピア正教徒であったマモは、毎週水曜日と金曜日の断食を頑なに守ったといいます。彼がメキシコで走った日は、たまたま水曜日でした。驚くべきことにマモは、朝食をとらずに出場し、途中の補給もとらずに走りとおして、金メダルをとったというのです。

またマモが別のマラソン大会で優勝したとき、賞品として一台のベンツが用意されていたそうです。ところが彼は、「私は祖国のために走ったのであって、車のために走ったのではない」と言い放って、ベンツの受け取りを拒否しました。彼はベンツの代わりに、高級カメラを一台だけ受け取って、エチオピアに戻りました。そして彼はそのカメラを売り払い、その代金で小さな家を建てたというのです。

信じられないような話ですが、じつのところ誰かの作り話のようにも思われます。話の真偽はともかく、マラソンの業績ではアベベにかなわないマモが、業績とはちょっと違うところで伝説を残し、語り継がれているというわけです。

マモは晩年になって、軍事政権の時代におこなわれた虐殺(Red Terror)に加担した疑いをかけられ、8年間も拘留されていました。病が悪化して釈放されましたが、すぐに亡くなったそうです。マモはアジスアベバの郊外にある聖ヨセフ教会に埋葬されました。同じ教会にはアベベも埋葬されており、アベベの走る姿を模した銅像とならんで、マモの銅像がたてられたそうです。

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