2004年09月23日

もの乞いの文化 [エチオピア]

アジスアベバでは物乞いの姿が目立ちます。信心深いエチオピア人のなかには、物乞いに施しをするため、わざわざポケットに小銭を用意して教会やモスクに出かけるひとも少なくありません。タクシーの運転手はダッシュボードに10セント玉を並べ、信号待ちの車に寄ってくる物乞いのため、律儀に施しをします。

市民のなかには、こうした習慣を「物乞いの文化」、アムハラ語で「イエルンマナ・バハル」だと、批判する人達もいます。物乞いにはしるエチオピアの人達はもとより、外国政府の援助を請う政府、NGOなども「物乞いの文化」に染まっているというのです。物乞いを法律で禁止せよとか、物乞いをするくらいなら死ねというくらいの気概が必要だとか、極端な意見もあります。皆が物乞いをやめて一生懸命仕事をすれば、エチオピアは豊かになるというわけです。

ところで僕の友人に、街で知りあった物乞いを自分の家に住まわせて、読み書きや調理などを教えたというひとがありました。そこまでできるひとは少ないでしょうが、エチオピアの貧困削減のために活動しているひとはたくさん居ます。いわば誰もが物乞いしなくても生きていけるような社会をつくろうとしているわけです。

物乞いを止めさせろと叫ぶことと、物乞いをしなくても生きてゆける社会をつくることは、まったく違います。「物乞いの文化」がエチオピアの貧困の元凶だという考え方は、正しくありません。例えばアジスアベバじゅうの物乞いが一斉に靴磨きを始めたら、たちどころに全員が仕事にあぶれるでしょう。

アジスアベバの失業率は50%をゆうに超えていますが、これはつまりどんなに努力しても、仕事にあぶれるひとがあるということです。世の常として、たいした努力もなしに法外な給料をもらっている人達もあるので、読み書きのできないひとが仕事で食べてゆけるまでにどれほどの努力と幸運が必要か、考え始めると恐ろしいくらいです。

アジスアベバは多額の援助資金が流入しているおかげで活気づいていますが、いまのところその恩恵を受けているのは、幸運な少数の人達に限られています。エチオピアで暮らすひとが、あたりまえに仕事をえて、安定した生活を送れるような社会をつくるのは簡単ではありません。

nishi makoto

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