2004年08月17日

服装の自由 [日常のできごと]

研究室にこもっていると肩が凝るので、週に二回ほどトレーニングジムに通っています。午後三時過ぎくらいにゆくと、まわりは主婦とか、既に退職されたと思しき人たちです。

中には高齢で、失礼ながら足もとがおぼつかない方も、一生懸命に体を動かしておられて、これは難儀なことだと思いますが、難儀なのは老若とわず、ここで空疎な労働をしている僕らだなと思い直したりもします。重しをつけた器具を動かしたりして、金メダルでも貰えるのならともかく、何になるのでしょうか。

ジムでは、服装に工夫を凝らすひともいます。胸のところに赤い花の刺繍がついた黒いTシャツに、ホットパンツをはいた女性は、彼女より二十近くも若そうな、ホスト風の男を連れて現れました。確かにこれくらいやれば、空疎な感じはみじんもありません。

注目すべきは、足もとのルーズソックスです。彼女くらいの年齢なら、若いホスト風の男を連れて歩くにふさわしいですが、ルーズソックスは一般には、彼女の娘くらいの年齢の女性にふさわしいと考えられています。

服装はとりわけ社会的な規範と関係が深く、特定の年齢や社会的地位にふさわしい衣服を着けていないと、なかなか周囲から認められなかったり、悪くすると顰蹙を買います。それを認めたうえで言うのですが、共有された規範をあえて乗り越えてゆくのも、また人間的な行為ではないでしょうか。

どんな服装をしようが、個人の自由だと言いたいのではありません。でも、ひところの中学教師ではあるまいし、服装が人格を決定するかのように考えるのは、浅ましいことです。

むろん、彼女がルーズソックスを履くことによって、世間の男性から魅力的な服装であると認められるかどうか、それは全く別の問題です。しかし彼女のばあいには、一緒に運動してくれるホスト風の彼がいる。

彼はほんとうは心のなかで、苦々しく思っているのでしょうか?そんなことは誰にもわかりません。派手な女性とホスト風の男だって、心から愛しあっているのかも知れないし、その隣で自転車をこいでいる普通の主婦は、会社で働いている夫のことを、憎んでいるかも知れないのです。

nishi makoto

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