2004年08月25日

華氏911 [映画]

これから目にするのは果たして、ブッシュの政治について私たちが知らされていない真実なのか、それとも意図的な編集によって歪曲されたプロパガンダなのか。そうした期待と猜疑心とを抱かずに、この映画を見る人はいないでしょう。京都の小さな映画館で『華氏911』を見ましたが、平日にもかかわらず満席でした。

映画の政治的なメッセージは明らかで、次の選挙では民主党に投票し、ブッシュの再選を阻止しようということです。ブッシュ大統領や小泉首相がこの映画を「偏っている」と評するのは無理もありませんが、要するに彼らを批判するために制作された映画なのです。

ブッシュ大統領を追った映像は明らかに、彼がアホに見えるように編集されており、それは通常のドキュメンタリー映画の範疇で判断するなら、あきらかに一線を超えています。ブッシュ政権と石油利権とのつながりを暴くさまざまな事実が、観客に対して矢継ぎばやに突きつけられますが、これも偏った情報ではないという保証はありません。要するに私たちは、どんな映像を見せられても、自分が真実を見ていると確信することはできないのです。

とすれば『華氏911』は、主演俳優のブッシュ大統領と、彼を取りまくエリートたちの卓越した演技力(あるいは演技の失敗)に依存した、一過性の話題に過ぎないのでしょうか?

確かにブッシュ大統領を中心に据えたことは、この映画が商業的な成功をおさめる要因だったでしょう。しかし彼はあくまで主演俳優に過ぎないのであって、『華氏911』は本質的には、ブッシュについての映画ではありません。

石油利権とイラク戦争との結びつきを執拗に追いまわすムーア監督の関心は、常に彼の故郷の町へと帰ってゆきます。彼が育ったミシガン州のフリントは、失業率が17%、ただしこれは統計に表れる数値で、失業保険が切れれば失業者としてカウントされないので、実際には二人に一人くらいが失業している。米軍を支えているのは、こうした貧しい町に生まれた若者たちです。

フリントの若者や、イラクの人びとが犠牲になる戦争で、より多くの富を得ているのは誰なのか、そしてその戦争は誰が起こしたのか。あるいはテロのあと、母乳のはいった哺乳瓶すら持ち込めない航空機に、マッチやライターを持ち込むことができるのはなぜか。これらの疑問を解こうとするマイケル・ムーアの姿勢に、心を動かされます。

貧しい人びとの生命を犠牲にして利権を追うような社会は、決して公正な社会とはいえない。マイケル・ムーアはそう語りかけるのです。『華氏911』については田中宇の国際ニュース解説に「偏った情報を与える映画だ」という批評がありますが、彼はこれがユダヤ問題についての映画ではなく、合衆国で拡大しつづける所得格差についての映画だということを見落としています。

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2004年08月23日

エチオピアの人名 [エチオピア]

昨日の女子マラソンで、エチオピアのアレム選手は惜しいところでメダルを逃しました。エチオピアには長距離走で力のある選手が多く、シドニーでは四つの金メダル(男子一万メートル、女子一万メートル、男子五千メートル、男子マラソン)を獲得して、国民は大いに盛り上がりました。

ところでアレム選手はエルフネシ・アレム(Elfenesh Alem)というなまえです。Elfenesh の elf は「一万」とか「とても多い」という意味があります。elfnesh はアムハラ語で「あなたは非常に多い」となります。もうすこし噛み砕いて言えば、「あなたはたくさんの人に匹敵するほど、大切な人だ」となります。

これはエチオピアで良く見られる名づけで、シドニーではミリオン(Million)という名前の男子選手が活躍しました。million は言うまでもなく「百万」を意味します。

他方、アレム(Alem)はアムハラ語で「世界」を意味します。ただし正確に言うと、エルフネシ・アレムさんの「アレム」は彼女の父親のなまえで、彼女のなまえは「エルフネシ」のほうです。

エチオピア人のなまえには「姓」がありません。なまえは「姓−名」とか「名−姓」ではなく、「名−父親の名−祖父の名」という風に並べます。だからアジスアベバでエルフネシ・アレムさんに「アレムさん!」と呼びかけても、彼女は振り返ってくれません。もし彼女の横に父親がいれば、彼が振り返ることでしょう。

日本人や欧米人の「姓」は家族や親族に共通のなまえですが、エチオピア人の「父親のなまえ」はあくまで父親のなまえなのです。ついでに言うと彼女が結婚しても、エルフネシ・アレムさんのままです。嫁に行って住む家が変わっても、父親を変えるわけではないからです。

エチオピアでは、アテネで女子マラソンを走った選手を「アレム」選手と呼ぶことはなく、「エルフネシ」あるいは「エルフネシ・アレム」と呼ばないと、話は通じません。ただしオリンピックのような国際試合では便宜上、アレムを「姓」として登録しているらしく、「アレム」選手と呼ばれます。

しかし考えてみれば昔、東京オリンピックで活躍したアベベ選手は、アベベ・ビキラ(Abebe Bikira)というなまえなので、ちゃんと(彼の父親ではなく)彼のなまえで呼んでいたことになります。もっとも「アベベ」ではなく、「アッババ」と発音したほうが、アムハラ語らしい響きになります。

なお駐日エチオピア大使館のホームページにはオリンピックのページが特設され、アテネで活躍している選手のプロフィールが詳しく紹介されています。

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2004年08月17日

服装の自由 [日常のできごと]

研究室にこもっていると肩が凝るので、週に二回ほどトレーニングジムに通っています。午後三時過ぎくらいにゆくと、まわりは主婦とか、既に退職されたと思しき人たちです。

中には高齢で、失礼ながら足もとがおぼつかない方も、一生懸命に体を動かしておられて、これは難儀なことだと思いますが、難儀なのは老若とわず、ここで空疎な労働をしている僕らだなと思い直したりもします。重しをつけた器具を動かしたりして、金メダルでも貰えるのならともかく、何になるのでしょうか。

ジムでは、服装に工夫を凝らすひともいます。胸のところに赤い花の刺繍がついた黒いTシャツに、ホットパンツをはいた女性は、彼女より二十近くも若そうな、ホスト風の男を連れて現れました。確かにこれくらいやれば、空疎な感じはみじんもありません。

注目すべきは、足もとのルーズソックスです。彼女くらいの年齢なら、若いホスト風の男を連れて歩くにふさわしいですが、ルーズソックスは一般には、彼女の娘くらいの年齢の女性にふさわしいと考えられています。

服装はとりわけ社会的な規範と関係が深く、特定の年齢や社会的地位にふさわしい衣服を着けていないと、なかなか周囲から認められなかったり、悪くすると顰蹙を買います。それを認めたうえで言うのですが、共有された規範をあえて乗り越えてゆくのも、また人間的な行為ではないでしょうか。

どんな服装をしようが、個人の自由だと言いたいのではありません。でも、ひところの中学教師ではあるまいし、服装が人格を決定するかのように考えるのは、浅ましいことです。

むろん、彼女がルーズソックスを履くことによって、世間の男性から魅力的な服装であると認められるかどうか、それは全く別の問題です。しかし彼女のばあいには、一緒に運動してくれるホスト風の彼がいる。

彼はほんとうは心のなかで、苦々しく思っているのでしょうか?そんなことは誰にもわかりません。派手な女性とホスト風の男だって、心から愛しあっているのかも知れないし、その隣で自転車をこいでいる普通の主婦は、会社で働いている夫のことを、憎んでいるかも知れないのです。

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2004年08月15日

エチオピアの語源 [エチオピア]

『地名の世界地図』(文藝春秋社)に、エチオピアという国名の語源は「ギリシア語のaitos(日に焼けた)とops(顔)と地名接尾辞の-iaからなる」とあるそうですが、どうやらこの本はたいへん間違いが多いらしい。

そこでWikipediaの英語版に掲載されている国名の語源をみると、英語の Ethiopia はラテン語の Aethiopia から派生したもので「その語源はギリシャ語の aithein [to burn] と ops [face] からなる」とあります。あたらずといえども遠からずですか。ちなみにこの国名をアムハラ語で発音すると、概ね「イトゥヨップヤ」と聞こえます。

現在のエチオピアのうち、主にティグライやアムハラと呼ばれる民族が居住する地域(アビシニア高原)にあったのが、アビシニア王国です。英語の Abyssinia の語源は、アラビア語の al-habash であるという説が一般的なようです。現在でもアラブの人びとはエチオピア人のことを habash と呼びます。

アムハラ語でも habesha (abesha) という語があって、「私はアベシャだ」などと言います。これは概ね「私はエチオピア人だ」という意味なのですが、オロモやソマリのなかには「私はエチオピア人だがアベシャではない」と言う人も少なくありません。現在は同じ国に住んでいるが、自分たちはアビシニアの末裔とは異なる民族なのだ、というわけです。

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2004年08月13日

グッバイ・レーニン [映画]

6月のことですが、友人に勧められてグッバイ・レーニンという映画を見ました。

主人公のアレックスは1989年のベルリンで、多くの市民とともに社会主義に反対するデモに参加します。ベルリンの壁は11月に崩壊しますが、ところがその数ヶ月後、彼は心臓発作で倒れた母にショックを与えないため、涙ぐましい努力をするはめになります。彼女の慣れ親しんだ東ドイツの体制が、ずっと続いているかのように振るまうのです。

このストーリーによって浮き彫りにされるのは、東ドイツの人びとの歴史経験の辻褄のあわなさです。自由と豊かさを求めて、自らの手で壁を崩壊させた市民の経験と、その後の社会が(コカコーラに象徴される)西側の資本によって急速につくり変えられてゆくのを、呆然と眺める市民の経験と、それらふたつの経験の剥離が、耐え難いものになってきます。

そこで映画のラストに近いシーンでは、アレックスとその友人が新しい社会を提案するに至ります。それは人間を勝者と敗者にわけるような、厳しい生存競争の社会ではなく、他者に手を差しのべる友愛の社会です。

彼らは、壁を乗り越える市民の映像に逆転した意味を与え、新しい社会の可能性について考えるように促します。確かに印象的ですが、曖昧すぎる提示でもあります。15年まえとは違って実在の壁が消滅してしまった世界で、私たちが乗り越えるべき壁はどこにあるのか。それを教えてくれている訳ではないのです。

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2004年08月12日

須坂の豪商 [リポート]

長野市から見て千曲川を挟んだ対岸に、須坂市があります。ここに滞在した折りに、田中本家博物館を訪れました。田中本家は、須坂の町で江戸中期から続く豪商です。

パンフレットによれば田中本家は、享保18(1733)年に「穀物・菜種油・煙草・綿・酒造業など商いを始めて以来、代々須坂藩の御用達を勤めると共に名字帯刀を許される大地主へと成長し、幕末には士分として藩の財政に関わる重責を果たし、その財力は須坂藩を上回る北信濃屈指の豪商になった」そうです。

田中本家の財力は、大正から昭和初期に至っても健在だったようで、当時の子供服や玩具の展示が目を惹きます。可愛い洋服や帽子、クレヨンなどは、すべて東京三越の通信販売で取り寄せたものだそうです。ほかにもセルロイドの金魚とか、西洋風のミニチュアの食卓、それに東京で出版された子ども向けの雑誌などがあって、もし東京の子どもたちと遊んでも、話が合わないということはなかったでしょう。

田中本家の商売はのちに没落したため、荒れかけていた旧宅を改修して、現在のような博物館にしたのだそうです。展示室をでると、京都から職人を呼び寄せて作らせたという庭園があります。この美しい庭園は、天明の飢饉のあと救荒を兼ねて造営したということです。

天明の頃の須坂の農民の暮らしがどんなだったか、不勉強で知りませんが、同じ信州でも新潟県境に近い秋山郷などは、かつて天明・天保の飢饉で三つの集落が滅んだといいます。焼き畑や平家伝承で知られる秋山郷は、いわゆる「山の民」が拓いた地域だということです。

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2004年08月08日

エチオピアの政府予算 [エチオピア]

Africa Research Bulletin (Economic, Financial and Technical Series: Volume 41, Issue 5, Jul 2004 ) によれば、今年度のエチオピア政府予算はおよそ220億ブルだそうです。このうち128億ブルが国内の歳入、75億ブルが国際援助、17億ブルが国内で調達した借入金です。

この予算を日本円になおすと、およそ2,974億円になります。桁数を間違えているわけではありませんので念のため。エチオピアの人口を7,000万人とすれば、ひとりあたり4,200円くらいです。なお通貨の換算には、為替計算機を使いました。エチオピアを含めて世界各国の通貨を換算できます。

ちなみにエチオピアの会計年度は7月1日から翌年の6月30日までで、今年度(2004年7月1日に始まる年度)は西暦で2004/05年度、エチオピア暦では1997年度というふうに呼びます。

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2004年08月06日

犬の生活 [コメンタリー]

少年院に収容された子供たちが、保健所から引き取った捨て犬を訓練して、新しい飼い主に渡すというプログラムが話題になっているようです。犬は少年とのふれあいを通じて人間への信頼を取り戻し、少年は命の大切さを学ぶのだとか。

この話がテレビのバラエティ番組で紹介されたときは、訓練を経験した少年のひとりが「僕は、自分とこの捨て犬とは同じだと思った」というようなことを言っていました。

つまりは、人間に従順な犬を育てるプログラムのなかで、社会に従順な人間が育成されるということらしい。犬はそれで良いでしょうけど、少年のほうは「犬と同じ」で良かったのでしょうか。

しかしこのプログラムの素晴らしいところは、出所した少年たちの再犯率がゼロだということです。この実績が意味することは明白なので、犬と同じで良いのかなどという疑問は、たちどころに却下されることでしょう。要するに、収容所の外側でうまくやっていける人間は、みな自分が従順な犬に似た生活をおくっていることを知っているし、知るべきなのです。

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2004年08月05日

エチオピアの暦#2 [エチオピア]

エチオピアで生活するときは、エチオピア暦と西暦(グレゴリオ暦)と両方の日付が入ったカレンダーを持ち歩くと、人と会う約束をするのに便利です。ネット上では、いろいろな暦を換算してくれるプログラムも公開されています。

今日の暦
今日の暦を、イスラム暦、ユダヤ暦、マヤ暦そのほかの日付で表示します。エチオピア暦や日本の旧暦もわかります。

World Calendar
エチオピア暦、コプト暦、ユリウス暦など15の暦を換算してくれるプログラムです。エチオピア暦で1983年グンボット月の20日は、グレゴリオ暦で何日にあたるか、瞬時にわかります。シェアウエア(10ドル)です。

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2004年08月01日

エチオピアの暦 [エチオピア]

エチオピアでは、年の初めを祝うのは9月11日で、クリスマスは1月7日です。エチオピア暦の1年には13の月があります。またエチオピア暦と西暦とのあいだには7年9ヶ月のずれがあり、世界中で新しいミレニアムを祝っていた頃、エチオピアでは1992年でした。エチオピアでは、政府の公文書とか領収書なども、エチオピア暦の日付で発行されます。

エチオピア暦は、コプト暦に似ているところがあります。コプト暦は、エジプトのコプト教会が定める暦です。エチオピア暦の年初であるマスカラム月の1日は、西暦の9月11日(閏年は9月12日)にあたりますが、コプト暦でも同じ日が年初になります。また1年に13の月があるのも同じです。12番目までの月はちょうど30日づつで、残りの5日(閏年は6日)が13番目の月になります。

またエチオピア正教会ではクリスマスを、エチオピア暦でタフサス月の29日、西暦でいうと1月7日に祝いますが、これと同じ日にクリスマスを祝うのは、ロシア正教徒です。ロシア正教会は、ユリウス暦という暦に従って、祝日を決めています。これに対して現在、日本を含む多くの国々はグレゴリオ暦を採用しています。ユリウス暦は、紀元前45年にユリウス・カエサルが制定した暦で、欧州のキリスト教国で広く使われていました。詳しい説明は省きますが、ユリウス暦には不正確なところがあって、それを修正したのが16世紀に考案されたグレゴリオ暦です。

ユリウス暦とグレゴリオ暦は、閏年の関係で微妙にずれています。ロシア正教会は、ユリウス暦の12月25日にクリスマスを祝うのですが、これはグレゴリオ暦でいえば、1月7日になってしまうわけです。エチオピアでは、グレゴリオ暦ではなくユリウス暦に準拠して、クリスマスを祝っています。

エチオピア暦と西暦のもうひとつの違いは、紀元の年です。グレゴリオ暦の2004年9月11日に、エチオピア暦1997年が始まります。ちなみにこの日は、ユリウス暦では2004年8月29日です。エチオピア暦が遅れているのは、エチオピアがイタリアに占領されていた時代を、暦に数えないからだという興味深い説を聞いたことがありますが、残念ながら間違いです(イタリアに占領されていたのは、1936-41年の6年間です)。

暦に7年の違いが生じたのは、キリストの誕生年についての見解が違うせいです。つまりローマ教会は、グレゴリオ暦0年にキリストが誕生したと考えているわけですが、エチオピア正教会の伝承によれば、キリストが生まれたのはエチオピア暦の0年(グレゴリオ暦7年)なのです。ちなみに歴史学者のあいだでは、キリストの生誕はグレゴリオ暦4年頃だったという説が有力らしいです。

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