2004年03月20日

困っている事情 [日常のできごと]

先週のことですが、〆切を長いこと過ぎていた原稿をようやく提出し、すこし暖かくなった夜の道を家に向かっていました。鴨川の河川敷で、険悪な様子のカップルに遭遇しました。女の子は可哀相に、興奮して泣き声です。知らないそぶりで通りすぎようと、歩みを早めた瞬間に、その彼女が「なんでそんな、いい加減なことばっかり言えるん?」と叫ぶのが耳に入りました。

彼女のまえにいる男は、返すことばもなく立ち尽くしています。彼女と彼のあいだにどういった特殊な事情があったのか、通りがかりの僕には知る由もありません。しかし事情を知らない僕にも、確実に理解できることがあります。僕らは大抵のばあい、のっぴきならない状況に陥ると、いい加減なことを言って切り抜ける以上の策を持ちあわせていないので、「なんでそんないい加減なことを?」と問い詰められたときには、いかなる事情であれ、返すことばなどありません。

それに問い詰めているほうだって、矛盾した状況を暴いてしまったうえに、相手から何の答えも返ってこないのだから、「なんで?」と叫びつづけるしかないのです。それは想像してみるまでもなく、つらい状況です。そんなことを考えながら大きな交差点に差しかかったとき、尋常ではない速度で左折してきた自動車に驚いて、避けようとした拍子に足をひねってしまいました。

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2004年03月12日

現代のノマド [コメンタリー]

少しまえ、NHKスペシャルでフリーターの話をしてましたね。生涯賃金で比較すると、正社員は2億円を超えるのに、フリーターを続けると5200万円にしかならない。これは我が国の経済にとっても大きな損失らしいです。

フリーターの増加による経済損失(UFJ総研試算)

番組ではフリーター志望の高校生が紹介されていました。彼は自分の可能性を試してみたいと、時給1,000円でアパレル系の仕事に就こうと考えています。道は厳しくても、きっと飛躍のときがくるはず。しかし進路指導の先生は、世の中はそんなに甘くないから、安定した正社員を選ぶようにとたしなめます。地元の工場で働きなさい。その言葉はしかし、彼の心には響きません。

いわゆる現実社会の厳しさを知らない高校生を責めるのは簡単です。でも顧みれば先生たちは、小学校の頃から「君たちは無限の可能性を持っている」「何ごとにも挑戦しなさい」と教えてこなかったでしょうか? 明日の社会は君たちのためにある。この見え透いた嘘は、学級運営のための方便に過ぎないのに、見抜けない子どももいるのです。そしてその嘘は、子どもたちを社会に送りだす瞬間に破綻します。

手のひらを返したような進路指導の先生の言葉はつまり、「どうも解ってないみたいだから言うけど、君は貴族の末裔とかじゃなくてサバルタンの一員なんだ。だからといって私たちの社会では、ノマドとして生きることは許されないからね」と言っているのです。残念ながら、この社会は君たちのものではないよと。

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2004年03月02日

羊のあたま [エチオピア]

アジスアベバのアラブ料理店といえば、老舗の「アル・メンディ」とか、アラブの外交官も訪れる高級店「アル・バラカ」がよく知られています。昨年の12月、僕がアジスアベバに滞在していたときのことですが、流行ものに敏感な若い商人から、新しくできた「サナア・レストラン」が最高だと聞いたので、ムスリムの友人たちと一緒にその店を訪れました。

完璧なまでに愛想の良い店員の勧めに従って、鶏や羊肉料理の盛り合わせを頼みました。結果から言えば期待以上の味だったんですが、注文した料理を待つあいだに「羊の頭」がでてきたのには、僕もエチオピアの友人も意表を突かれました。皮を剥いだ羊の頭蓋骨を、丸茹でにしたものです。僕は頭蓋骨に付着した肉の味見をし、顎の骨のなかに収まっていた羊の舌は、友人のひとりに譲ることにしました。

彼が羊の舌を食べたあと、別の友人が、アラブでは羊の脳も食べるんだと言いました。アラブの作法には一同、心を動かされましたが、言いだした本人も含めて、頭蓋骨の中味には手をだせずに終わりました。

そこでアラブはともかく、エチオピアで羊の頭を食べる文化があるだろうか、という話になり、そういえばパン屋で働く職人は羊の頭を食べると聞いた、と誰かが言いいました。というのもパンを焼いたあと、窯がまだ熱いうちに羊の頭を放り込んでおくと、余熱で程良く焼き上がるんだそうです。

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2004年03月01日

打開策 [日常のできごと]

今いる研究室の一角に、共用のパソコンがおいてあって、デスクトップには色んなフォルダやらファイルが、雑然と散らばっています。僕はこのパソコンを、おもに印刷用に使っているんですが、このあいだも宛名ラベルを印刷しようとしたら、デスクトップに「打開策」というなまえのファイルがあるのが目にとまりました。

言うまでもなく大学院の研究室では、何かと打開策が必要とされているんですけど、「打開策」っていうファイルが、例えば「机係」のフォルダに入っていれば、四月からまた増える院生の机を確保するための、画期的な手段が書かれているんだな、ということが解ります。あるいは、修士論文を最近、提出した院生のフォルダに「打開策」が入っていたら、ああ苦しんだんだな、ということが伝わってきます。

しかしデスクトップのうえに「打開策」が放りだされてあると、誰の、あるいは何のための打開策だか判らないので、もしかしたらこのファイルには、すごいことが書かれているんではないだろうか、という期待を抱かせてくれます。

つまり、何か個別の用途に裨益する打開策ではなく、もっと普遍的な打開策。例えば「現代社会に生活する人びとの幸福の実現を阻む諸要因に対する一般的打開策」とか。そんなことが書かれていたら大変だな、と考えてみたりします。

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